
◆ストレスの解決法
では、どうすればストレスを解決できるのでしょうか。
ストレスは数限りなく降ってきます。ストレスの原因を一つずつ解決しようとすると、人生がいくらあっても足らないでしょう。不可能のように思えます。やっと、ストレス病という理解ができて、解決へ歩みだしたのに、これでは最初から挫折です。
しかし、安心してください。解決への道が見えています。現実の日常生活で考えてください。同じことが起こってもストレスと強く感じる時もあれば、笑って許せるときもあります。この差は何によるものでしょうか。
それは、生きている充実感と生命力があるかどうかによるのではないでしょうか。自分が満ち足りておれば、多少のことは笑って許せます。しかし、逆の時は大変です。「あの一言が許せない!」ということで夜も寝られません。
だから、ストレスの解決法は、ストレスと戦うことではなくて、生きている充実感と生命力を高めることです。
◆充実感と生命力を高める2条件
では、その充実感と生命力を高める条件です。それは何でしょうか。「身体を活性化させる」ことはもちろん必要なことですが、それだけでは十分ではありません。
厚生省が言っている栄養・運動・休養というのも、身体の健康の条件で、それだけでは足りません。ストレスから解放されなければなりません。
ストレスを解消するための方法として、西洋の心身医学はイメージ療法を用います。
「楽しい時や幸せな状態をイメージしましょう」、「美しい風景をイメージしましょう」、あるいは「テニスで、うまく打っている状態、棒高跳びで、うまく飛べた状態をイメージしましょう」というイメージ・トレーニングです。
楽しいときや美しい風景をイメージすると、確かに幸せな気持ちになりストレスが消えます。
しかし、これには問題があります。一つには、ブラス思考と同じく、本当にどん底になったとき、楽しいことをイメージできますか。
周囲に気を使って耐えてきた。はっと気が付けば死のベッドの上、こんな人生の最後になっても、「楽しいことをイメージしましょう」と言えますか。
もう一つには、イメージ療法で病気や心の悩みが良くなったとしても、「イメージ療法で治った、良くなった」ということで、イメージのほうが自分より偉くなったり、そのイメージを手放せなくなり、精神の自由を失うという欠点があります。
ここに西洋の心身医学の限界があると思います。最近はやりの、霊だとか新興宗教の神様や教祖様もこのイメージ療法と同じ類いでしょう。
◆頭をカラッポにする
ストレスから解放されるには、もっと簡単で、精神の自由を侵さない画期的な方法があります。それは、「頭をカラッポにする」ということです。
心身相関をもう一度思い出してください。「頭をカラッポにする」ことのほうが、心身相関から見ても妥当であり、良い方法ではないでしょうか。
「身体を活性化すると同時に、頭をカラッポにする」、この二条件を満たすとき、心身相関が非常に良くなり、自分のうちにある生きている充実感と生命力が高まります。
ストレスの解決のために、自分や他人の性格や価値観、生き方を変える、あるいは現実や社会を変革しなければならないのなら、いくら時間があっても足らないでしょう。貴重な人生がそれだけで終わってしまうのではないでしょうか。
それよりも、自分のうちにある生きている充実感を高める方が、少し時間はかかりますが確実です。
◆東洋の無の文化
ただ、「頭をカラッポ」というのは、東洋の無の文化です。私たちは東洋の無の文化に慣れていますから、「頭をカラッポにしましょう」ということがストレートに理解できます。
貴乃花でも若乃花でも、「無我夢中でやりました」、清原でもホームランを打ったときは「無我夢中でした」と言います。日本人は「無我夢中でやりました」、それで充分なのです。その時最高の力がでるということが、皆によく理解されています。
しかし、西洋人にとって、「頭をカラッポにしょう」というのは実に理解し難いということでしょう。ヨーロッパ文明は、自己の確立を良しとする文明です。
「頭をカラッポにしょう」というのは、自分を捨てろということですから、パニックに陥りるでしょう。これは文明的に見ますと、大変なことだと思います。
ですから「生かされてる医学」は、西洋の心身医学と東洋の無の文化を融合させたものだと言えると思います。それゆえにこそ、21世紀の健康医学の基本になるだろうと確信しています。
◆日常生活で見る心身相関の実例
○嫌な仕事は疲れる
肉体的には楽でも、いやな仕事をしているときは疲れます。毎日毎日、疲れがたまってきます。肉体的には少しきついが、楽しんでやっているときは、それほど疲れません。一晩寝たら回復します。
これはまさに心身相関です。「嫌だ、嫌だ」と思っておりますから、自律神経系、内分泌ホルモン系、免疫系のバランスが壊れます。身体の代謝がバラバラになります。
また、「嫌だ、嫌だ」と思っているので、過食・お酒・タバコが必要になり、身体の調子がさらに悪くなります。嫌な仕事をしたときは疲れが残る。
楽しくやっているとき、少々肉体的にはきつくても、疲れが残らない。これはまさしく事実です。気のせいではないです。
○磁石入りの布団は効くか?
次は民間療法です。いろいろな民間療法がありますが、民間療法が効くかどうかということです。
例えば、非常に高い布団があります。30万円も40万円もするような高い布団です。磁石が入ったようなのもあります。
この布団が効くかどうかということですが、ある程度効きます。何が効くかといいますと、磁石は効きません。効くのはやはり30万円です。
今まで、「病気で死ぬのではないか」と不安でしかたがなかった。それで心身相関が一日中バラバラになっていた。高い布団を買った。あるいは、息子から買ってもらったとか、孫から買ってもらったとなるともっと嬉しいでしょう。
「これだけ高い布団だから、これはきっと効く」と信じ安心するので心身相関が良くなってきます。夜もぐっすり眠れるということで効いてきます。
だから、値段が高ければ高いほどいいのです。このように心身医学的に見れば、磁石入りの布団が効くこともよく理解できます。
ただ、欠点があります。それは慣れが来ることです。2、3週間は感動して寝てていますが、1か月もしたら当たり前の布団です。
そうすると効かなくなり、次は60万の布団がいる。それにも慣れてしまったら、さらに高い布団がいる。だんだん家中が布団だらけになるという欠陥があります。
その他、いろんな薬草とかエキスもみんな同じ心身相関による効果です。よく効くと宣伝してますが、中身は効かない。これが大事なのです。
というのは、効くということは、布団の場合はいいが、飲んだり、食べたりするものでは、副作用もあるわけです。よく効くということは、強い副作用もあるということです。
これをたくさんの人が何年にも渡って使用すれば、病気になったり死んだりする人が出ますから、その療法は廃れます。
だから、広く長く伝わっている療法というのは、中身は効かない。効くのはレツテル。これは5万円もするとか、これは偉い先生が飲んで健康になったとか、あの女優も飲んで綺麗になったとか、そういう実例あって本人が効くと信じるので効くのです。
一時流行った尿療法というのがありました。自分のおしっこを飲む療法です。あれは効いたでしょう。よほどの確信を持たないと飲めません。
絶対効くぞと思って確信を持つと、不安がなくなるから効く。しかし、それほど凄じい療法でも、毎日やってたら慣れが来ます。当たり前になるともう効かない。だから廃れるのです。また新しい方法がいるということになります。
○奇跡の泉
これをもっと劇的に効果的にしたのが、西洋で言うと奇跡の泉です。聖地巡礼です。延々と何十日もかかって聖地を目指して旅をしていきます。
やっと聖地に到着すると、そこではコンコンと泉の水が湧いている。それを飲むと、難病がたちどころに治ったという伝説があります。
これはある程度真実でしょう。100%嘘であれば伝説としても伝わりませんので、伝わっている以上は、ある程度真実を含んでいます。
これも心身相関から見たら当然です。巡礼の旅に行くには、休暇を取らないといけない。休養です。それから、歩いていきますから運動になります。
それから、巡礼の旅ですから、どんちゃん騒ぎはしない。よい食事をとる。ということで、栄養、運動、休養という厚生省お墨付きの健康条件を満たすわけです。
そのうえに、毎日毎日砂漠を歩いて行きます。だんだん嫌なことも忘れます。来る日も来る日も、らくだと一緒に砂漠を歩いて行けば、過去のことも、将来のことも、いろんな人間関係も忘れ頭がだんだんカラッポになってくる。
身体には良いことをしているし、頭はカラッポになってくるので、心身相関が非常に良くなってきて、生命力や充実感が高まってくる。明るくなってくる。楽しくなってくる。最高に高まった頃に、聖地に着いて、奇跡の泉の水を飲む。
はっと気付いたら、あれほど頑固だった皮膚病が治った。あれほど痛かったリウマチも痛くない。喘息もない。奇跡が起こったというわけですが、水は世界共通です。水には秘密はありません。人間の心と身体に秘密があったのです。
○お遍路さん
同じような例は日本にもあります。お遍路さんです。四国の八十八か所巡りというのがあります。これも同じです。休暇を取る。それから、歩いて行くから運動になる。さらに食べるのは精進料理です。栄養、運動、休養という条件が満たされます。
一方、一つのお寺を巡ると因果が一つ落ちる。次のお寺へ行くとまた一つ落ちる。因果というのは過去です。過去の嫌な思いでや、悲しい思いでが一つずつ落ちてゆく。なかなか日本人は芸が細かいです。88カ所もありますから、半分くらい行きますと、非常に心身相関が良くなってきます。
季節は春がいいです。今まで気分が暗かったからうつむき加減で歩いていたが、だんだん元気になってきて、顔を上げると、目の前には菜の花が一面に咲いている。
さらにその向こうには瀬戸内海が光っている。「あ〜生きててよかった」と感動する。そのとき、心身相関は最高によくなっています。
だから、病気が治る、元気になる、生きている充実感が高まる。これは、心身医学から見たら当たり前のことです。
○感動的な夕焼け
巡礼やお遍路さんまでいかなくても。普通の旅や旅行を考えてください。旅は心身相関を良くする作用を持っています。
旅がなぜいいかと言うと、頭がカラッポになるからいいのです。つまり、私たちの頭というのは、以前NHKでやっていた連想ゲームのようなものです。
知っているものを見たら、連想がどんどんどんどん浮かぶ。そうすると、腹が立った思いでや悲しい思いでで頭が一杯になる。しかし、知らない土地へ行ったら、連想ができません。
特に効果があるのは、外国へ行くことです。言葉が分からないところへ行けば、日本語が出てこないので、頭がカラッポになる。そうすると、湖が美しい。湖に落ちていく夕焼けが感動的なのです。
近所の夕日も美しいのですが、近所の夕日は落ちてくるのは同じでも、落ちて行く先に知り合いの家がある。あの家には腹が立つ人が住んでいる。恨みがある、許せないといろいろ思ってしまうので、頭が一杯になって感動できない。
そういう面で旅に出ると、頭がカラッポになりやすい。だから、感動もできるし元気になります。生きている実感を感じます。
○温泉と釣り
温泉だって同じでしょう。お湯につかって身体を活性化する。それからお湯につかっていると、太古から流れている永遠の時と自分が一体化するような気持ちになる。頭がカラッポになります。
釣りに行くのもそうでしょう。身体を使うので活性化する。頭は浮きを見つめていると、浮きだけになりカラッポになる。心身相関がよくなり、なんとなく充実感を感じる。自分を感じられます。
○登山家はなぜ危険な山に登るのか
「山男はなぜ山に登るのか?」という問いは有名ですが、「そこに山があるからだ」では、山男らしい表現能力の欠乏です。
これも心身相関から見れば、容易に理解出来ます。「山男は何故山に登るか、しかも何故危ない山に登りたがるか」ということの秘密が分かります。
山に登るためには、まず休暇を取る。登る前からのトレーニングもいる。実際登っていく時も運動です。それから登って行く時は当然食事は節制している。栄養、休養、運動が満たされる。
一方、段々山の上へ登って行くから、日常生活が消えていく。頭の中が、カラッポになってくる。しかも下手をしたら死ぬかもしれない。これが非常に大事な点なのです。死というものを考えると、日常生活は一切落ちます。
社会的なお金とか地位とか名誉とかは、まだ20年も、30年も生きようとするから必要なので、「今死ぬかもしれない」という危機の前では、そういうものは役に立ちません。「へたをしたら死ぬかもしれない」と思った時、頭の中はカラッポになるのです。
ということで、心身相関が極限まで高まる。私は生きているという実感がくる。感動が来る。充実感と生命力が高まる。
しかし、また浮世に帰ると、浮世のストレスと過食が待っています。身体が重くなる。生きている実感がなくなり、充実感が失われる。「自分が自分ではない」という感じが徐々に強くなる。
だからまた山男は山へ登りたくなるのです。しかし、同じ感動を得ようとすれば、もっと危険な山に登らなければなりません。
同じ山では、慣れがあるので危険が少なくなっています。余裕があるので、日常性が落ちない。同じ感動を得るためには、もっと危険な山に登らなければならないのです。
そういうことが理解されたら、なぜ山男は死ぬまで危険な山に登り続けようとするか、遭難するまで止めることができないのかが分かります。
○龍安寺の石庭
それから京都の龍安寺のような石庭があるお寺があります。「人は何故あそこへ行くのか?」。これも同じことです。
まず休暇を取る。それから少し歩きます。京都駅から歩いた方が本当はいいのでしょうが、近くからでもいいです。付近の見学もかねて少し散策する。
それから食事は湯豆腐位しか食べない。過食の私たちにとっては良い食事になる。こうして、栄養・運動・休養が満たされる。
そしてあの石庭を見る。白い砂の上にところどころ石が並べてある。「この石は何を表現しているのかな?」とか、「何をイメージしているのかな?」と思って見るのですが、良く分からない。
実は、あの庭の石はどんなイメージも結ばないように並べてあるのです。竜のイメージだとか、犬のイメージだとかそういうイメージが結ばないようにあの石は並べてある。
だから見れば見る程、頭の中は空白になっていく。心身相関が良くなる。10分でも20分でも座って見ていると、なんとなく充実感を感じる。自分を感じることができる。だから人は疲れたらまた行きたくなるのです。
◆日常生活のストレスを解決することが必要
ただ、孤島や山の中に住んでいるのであれば、それらで充実感と生命力が高まり、本当の自分を感じられれば、それで幸せです。
しかし、日常生活では至るところからストレスがやってきます。ストレスの中で暮らしていると言っても良いでしょう。そのストレスで充実感と生命力も食いつぶされていきます。日常生活のなかではどうすればよいのでしょうか。
どんなに素晴らしい体験を経験しても、日常生活のストレスを解決しなければ、その効果は元に戻ってしまいます。何年もかかってやっと私も、日常生活のストレスを解決することが最大の問題という当たり前のことが分かったということです。
◆ストレスの原因は「他人の山」を登る生き方
生き方を大きく三つに分けました。第1の生き方は「社会適応優先型」で、社会適応を優先して自分を犠牲にする生き方です。徐々に疲労が溜まり、生きている充実感が失われます。
日本の経済がまだ上昇しているときは、この苦労にも意味がありますが、すでに行き詰まり、今までので努力は何だったのかと思うと空しさにとらわれ、ストレスをさらに感じやすくなります。
第2の生き方は、自分中心で社会適応ができない「自己中心型」です。若い世代の方々です。
自己犠牲は一切いやで自己主張だけは目一杯するという不満型の人と、不安ばかりで自己防衛だけになるという不安型の人とがありますが、いずれも社会適応が出来ず、生きている充実感が低下し、ストレス一杯になります。
そして、「社会適応優先型」の人と「自己中心型」の人が家庭や会社で一緒に暮らさなければなりません。価値観もフィーリングも全く異なりますから、話してもわかりません。
この世代間の断絶からくるストレスが私たちを最も疲れさせるものかもしれません。
以上のように、どちらの生き方も充実感を失ってストレスを受けやすくなり、そのストレスが心身相関と生活習慣を乱し、肥満、自律神経系失調症、成人病、最終的にはがん・脳卒中・心筋梗塞に至る。
つまり、肥満や成人病の本当の原因は、「社会適応優先型」や「自己中心型」という生き方からくる充実感の喪失である、これが新しい健康医学「生かされてる医学」の理解です。
ここまで読んでいただくと、よく分かっていただけるでしょう。肥満の解消も、がん・脳卒中・心筋梗塞の予防にも、生き方の問題として理解する必要がどうしてもでてきます。
さらに一言でいえば、どちらの生き方も、「他人の山」を登る生き方ではないでしょうか。「社会適応優先型」はまさしく、自分のことは後回しにして、家や会社や国のために頑張るという生き方でした。
貧しい時代には、歓びも感動もありました。子供たちからも拍手がきました。生きてる実感と存在感を感じることができました。
しかし、豊かな時代になり、さらに日本経済が下降し始めた今、何のために頑張っているのか分からなくなってきました。ふっと空しさが立ちこめます。
「自己中心型」の生き方も、自分で獲得した自由ではありません。社会の制度や習慣が壊れたために自由になっただけです。このなかで皆が自分勝手に生きれば、ぶつかり合って不満ばかりになります。
また、豊かな時代に育ったため、生きていく技術を身につけていません。社会へでてきたらどうして自分を守ったらよいか分かりません。不安一杯になります。
「自己中心型」の生き方の方も、社会に振り回されてしまい。「他人の山」を登っていることに変わりはありません。空しくなるでしょう。
◆処方箋は「自分の山を登ろう」
山の中や孤島ではなく、私たちは社会の中で暮らさなければ、衣食住を得られません。
「身体を活性化すると同時に頭をカラッポ」にして充実感と生命力を高めても、毎日毎日ストレスが襲いかかってきます。「他人の山」を登る生き方をしている限り、空しくエネルギーを失っていきます。
豊かな時代とは、「自分の山」を登らない限り、歓びも感動も得られなくなった時代だと思います。「自分の山を登り、幸せも健康も仕事の成功も得られる」という第3の生き方が必要です。
これは「こころの時代」の生き方で、まだ実現できていません。しかし、「第3の生き方」を実現しない限り、幸せも健康も得られません。現在の治療医学では生き方の問題までは解決できません。
ストレスを解決するためには、「身体を活性化し、同時に頭をカラッポ」にすることと、もう一つ「自分の山」を登る生き方が必要だと思います。
そうです、私の処方箋は、「自分の山を登ろう」です。しかもそれは楽しいことであるはずです。「自分の山を登るのが人生の歓びです」。
ストレス病の解決のために医者が書く処方箋としては、随分変わったものになってしまいましたが、ここまでお読みいただいた方にはある程度は納得していただけるのではないでしょうか。
◆「生かされてる医学」
私たちの中にはあふれるばかりの充実感と強力な生命力があります。
しかし、日常生活のストレスが充実感と生命力を蝕み消耗させている。ストレス解決のためには、「本当の自分を生きる、自分の山を登る」という生き方が必要です。
そのための方法が、日常生活でおこなう「生かされてる医学」の方法です。これが私が1万5千人の方々の指導のなかで発見したことでした。
お遍路さんに行くのも、温泉に行くのも良いでしょう。釣りもサウナも良いでしょう。しかし、それだけでは一時的なストレスの解消に終わります。目的は、日常生活のストレスを解決することです。
まず、ミニ・ファースティングと丹田呼吸法を見いだしました。ただ、それらは日常生活で「身体を活性化すると同時に、頭をカラッポ」にする優れた方法ではありますが、ストレス渦巻く社会の中ではこの2つだけでは十分ではありませんでした。
ストレスの原因の多くは、性格から来ます。自分の性格の問題点、相手の性格の特徴、それらを知らないために無用な葛藤が起こっていることが少なくありません。ですから、次には、性格分析を学ばなくてはなりません。
ただ、それだけでは不十分です。「あなたの原点は何ですか」、「あなたは自分の価値を何で決めていますか」という問への答えが必要です。原点や価値の基準があやふやでは、ストレスから自由にはなれません。
「社会を原点として、社会の評価で自分の価値を決める」、これが普通のことでしょうが、それでは、また「他人の山」です。空しさが来ます。
しかも、10年もすれば変わってしまう社会、それが本当の原点でしょうか。そんな社会の評価が、私の価値を決める本当の基準になるのでしょうか。
そこで、「生かされてる医学」は、「医学的に見て、自分で生きているのですか、生かされてるのですか?」という質問をします。
医学的に見れば、生かされてるのは、単純な医学的事実です。宗教や道徳とは一切関係がありません。
「生かされてる医学的事実」、この事実から、私の価値はくるのではありませんか。これを理解して、初めて世間体からの自由が得られます。本当の自分を生きられます。
社会が確固たるものであり、そこから落ちこぼれた方をサポートするのであれば、社会を原点とする価値観で十分でしょう。従来の心身医学でも良いでしょう。
しかし、現代は、社会が崩壊していく時代です。社会がストレスの原因となっている時代です。
なのに「社会に帰りなさい」では、無茶なことではありませんか。本当の原点が必要です。それなくしては、治療にはなりません。健康にも幸せにもなれません。
その原点は、生かされてる医学事実ではないでしょうか。それが、「健康医学のための心身医学は、生かされてる医学でなければならない」という理由です。
「生かされてる医学」は、インターネット心療内科カウンセリングルームで、カウンセリングを受けていただく中で、学んでいただけるようにしています。
是非、カウンセリングを受けて、「生かされてる医学」を自分のものにしてください。
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