4.何にもない私が素晴らしい

  「私たちは医学的に生かされてる」ということ、「生かされてる世界」から見れば「何もなくても、何もできなくても、私は素晴らしい」ということ、そして「死は私の終わりではない」ことを知れば、人生は大きく変わってきます。

 
以前、阪神大震災後の心のサポートのために毎月勉強会を開いていました。ある時、中年の女性が

 この方は、震災で家が全壊し、仕事も失われ、仮設住宅に住んでおられます。

  「仮設にいるとみじめなので、できるだけ外へ出るようにしています。いろいろな会に参加してにぎやかにしていると楽しいのですが、仮設に帰ると、どっと疲れが出て動けなくなります。気持ちも落ち込んでしまいます」ということです。

  心と自律神経系や内分泌ホルモン系は完全に一体となって動いています。これを心身相関といいます。だから、ストレスがあれば、身体の代謝が悪化するのは当然です。身体に異常がないのに、だるくて動けなくなるのは、ストレスからくるものです。

  問題は、自己否定をされている点です。何もかも失った「みじめな私」を見たくない。そこから逃れようとして、努めて外出し、強く生き生きとした自分であろうとされていますが、それは「みじめな私」を否定していることです。

  宇宙でたった一人しかいない自分を否定をすれば、エネルギーを失います。強くなろうとすればするほど悪循環に落ち込みます。

 
まず、「何もない、みじめな私」を事実として認めてください。そして、その次に 「ほんとうに私は、何もないのか、みじめなのか」と問うてください。

 みじめなのは、社会的な評価や価値を失ったからです。しかし、地位や名誉やお金は、あったほうがいいが、「私」の価値を決定するものではないでしょう。

  「みじめな私」を切り捨てて、社会的に強く輝いていることを追い求めている限り、解決はありません。

  もっと年をとれば、社会的な評価ばかりではなく、身体的な能力も低下してきます。病気になったり、寝たきりになったりして、ますます「みじめな私」になっていきます。それでは、人生は悲しいではありませんか。

  日本では1年間に3万数千人が自殺されています。病気を苦にしてという人はそれほど多くはないでしょう。

 それでは、大多数の人はなぜ自殺まで追い詰められたのでしょうか。

  「食べていけない」というのは理由になりません。世間体さえ気にしなければ、今の日本で餓死することはないからです。

  追い詰められたのは、やはり世間体ではないでしょうか。世間体さえ捨てれば、大多数の人は自殺しなくてもよかったのではないでしょうか。

  ただ、世間体を捨てるとは世捨て人になるというのではなく、世間の評価で自分の価値を決めることを止めるということです。

  「大きな生命の世界」で生かされて社会を営んでいるのが人間です。社会は衣食住を得るための場所です。

 「私」の価値は、生かされてる事実から来るものです。それがわかれば、社会からの評価は不要です。あとは、餓死しなければいいのです。

  また、歳をとれば身体的には老化します。しかし、細胞から「私」が発生していない以上、体が老化しても「私」の価値は低下しません。体はただでもらったものです。もらった体が歳とともに傷むのは当然のことです。

 
  「私」の価値は、「生かされてる医学的事実」からくるものです。社会的や身体的に見ればみじめかもしれません。自分自身の心の中をのぞき込めば絶望的です。しかし、「生かされてる医学的事実」の世界のかぎりない優しさから見れば、「何もなくても、何もできなくても、私は素晴らしい」のです。

 
どんなに社会的に評価が低下しても、どんなに年をとっても、どんなに病気をしても、どんなに最悪の状態になっても、どんなに自分の心が汚くても、「生かされてる医学的事実」の世界から見れば、「私」は「かけがえのない大切な存在」です。「100点満点」です。このように「何もない私が素晴らしい」という発見があってこそ、人生の本当の解決です。

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