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新着記事

タイトルJJである以上、死は虚無です
記事No580   [関連記事]
投稿日: 2012/10/15(Mon) 07:29
投稿者sasada
JJ(自分のことしか考えられない自分)であるかぎり、死は、虚無です。

死が、本当に、虚無であるかどうかは、わかりません。

私たちが持っている死についてのイメージは、すべて、人間の社会によって作られたものです。

人間社会は、自分のことしか考えられない自分の社会であり、Gの社会です。

自己防衛と、自己顕示欲と、唯物論の社会です。

この中にいる限り、死は、虚無です。

しかし、死は、Yuが与えたものである以上、Yuの丘に登って見みないことには、何もわかりません。

人間社会の中にいる限り、何もわかりません。

Yuの丘に登らなければなりません。

しかし、E、N、D、F、K では、絶対に、Yuは、わかりません。

JJは、Yuの丘には登れません。

JJである以上、死は虚無です。

そして、死が、私たちの根本にある以上、人生が、虚無です。

タイトル死を見つめる
記事No579   [関連記事]
投稿日: 2012/10/13(Sat) 09:33
投稿者sasada
第三段階で、本気になるというのは、どういうことかです。

それは、「死を正視する」ことに対して、本気になるということです。

本気で、「死」を、見つめることです。

タイトル根底は、「死」の問題です
記事No577   [関連記事]
投稿日: 2012/10/12(Fri) 10:41
投稿者sasada
Dr.Sasadaのカウンセリングルームの第三段階ということになりましたので、また、書いていこうかなという気持ちになっています。

不特定の方が読むということになると、どうしても正確さが鈍ります。

人数は少なくても、対象がはっきりしているほうが、書きやすいですし、また書こうという気にもなります。

さて、いろいろな問題や悩みや苦しみがありますが、根底は、「死」の問題です。

不安も、不満も、存在の否定体験も、存在価値も、根底に「死」がなければ、起こりません。

社会適応の話では、それらの問題を解決できないのです。

社会適応に時間をいくら費やしても、何の解決にもならないのです。

「死」は、社会が作ったのではなく、Yuが、私たちに与えたものだからです。

Yuの丘に登らなければ、「死」の問題は、わからないのです。

根本解決のためには、「死」を正面から見つめることが必要です。

「死」を正面から見つめれば、社会適応は、うまくいっても、いかなくても、役に立たないということがわかります。

タイトル「生かされている医学的事実」を見つめる能力
記事No572   [関連記事]
投稿日: 2012/06/24(Sun) 00:33
投稿者sasada
悩みや苦しみが、どんなにひどくても、

それは、ちょっと脇においておき、

「生かされている医学的事実」を、見つめてみましょう。

悩みや苦しみは、

自分で生きているという傲慢な妄想から来るものです。

「生かされている医学的事実」を見つめる能力が育ってくれば、

傲慢な妄想から来る悩みや苦しみは消えていきます。

タイトル新型ストレスやPKで、幸せになれますか?
記事No567   [関連記事]
投稿日: 2012/06/04(Mon) 21:42
投稿者sasada
みんな、幸せになりたいと思っています。

私も、幸せになっていただきたいと願っています。

しかし、新型ストレスや、PKでは、どうして幸せになれますか?

新型ストレスやPKは、どこまで行っても、自滅のシナリオです。

この世界は、Yuの世界であり、私たちは、みな、Yuの子です。

みんな幸せになれるはずです。

しかし、新型ストレスやPKのままでは、どうして、幸せになれますか?

タイトルYuccの日々
記事No563   [関連記事]
投稿日: 2012/05/28(Mon) 20:55
投稿者sasada
本日、Yuの子倶楽部(Yucc)のホームページに、「Yuccの日々」というコーナーを作りました。

Yuccの日頃の出来事や、私の一言を、写真や動画でお伝えしようというものです。

この写真や動画を見ていただき、一緒に学び、一緒に生きているという実感を持っていただければと思います。

誰だってYuの子ですが、誰だって殆どが、Eや、Nや、Dや、PKや、Kです。

自分のことしか考えられない自分で、悩み、苦しみ、依存と攻撃で人生が終わってしまいます。

Eや、Nや、Dや、PKや、Kが好きだという人は、苦しくても、納得の人生ですから、余計なことを、私が言う必要はありません。

しかし、ごくわずかであっても、本心が、Yuならば、死のベッドの上で、気がつき、後悔しても、手遅れです。

誰にとっても、Yuは、ごくごくわずかです。「これが、Yuだ。」と、はっきり言える人は、まずいません。

Yuは、ほとんど、かすかなものです。

ですから、はっきりと、Yuを生きると決意できる人は、ほとんどいないのは当然でしょう。

ただ、Yuについて学び、Yuが好きになり、Yuを生きたいという願いを持つ人は、きっと少なくないでしょう。

そうです。願いなら持つことができるかもしれません。

そして、私は、そのような人を、支えてあげたいと思のです。

一人では、願いを持ったとしても、すぐに消えてしまいます。

その願いが、実現することなど、到底、信じることができないでしょう。

折角持った願いも、比較と競争の社会の中で、消えうせてしまうでしょう。

それは、あまりにも、残念であり、悲しいことです。

一人ではできなくても、Yuccの中でなら、できます。

Yuccの中でなら、その願いは、少しずつ育つことができます。

やがて、大きな木となることでしょう。

Yuccの日々の出来事や、私の一言の写真や動画を見ながら、一緒に、Yuを学び、自分の中のYuの子を育てて行きたいと思います。

タイトルYuの心身医学は、心の運転免許
記事No558   [関連記事]
投稿日: 2012/05/14(Mon) 21:13
投稿者sasada
自動車を運転するためには、運転免許がいります。

車の構造を学ばなければなりません。

交通規則も学ばなければなりません。

心も同じです。

楽しく生きるためには、心の運転免許がいります。

自分の心について学ばなければなりません。

人の心についても学ばなければなりません。

心の運転免許がなければ、自分の心が故障しても、何がどうなっているのかもわかりません。

人間関係や社会の中で、ぶつかり傷つくことばかりになります。

多くの人は、悩みや苦しみが避けることができないものと思っておられます。

解決しようとしても、ぐるぐる回るばかりで、解決できないものだと、半ばあきらめています。

しかし、それは、違います。

悩みや苦しみは、心の無免許運転から起るものです。

目の前の悩みや苦しみを、どんなに解決しようとしても駄目なのです。

心の無免許運転をしているかぎり、同じことが繰り返されるだけなのです。

時間の浪費にしか過ぎないのです。

解決は、心の運転免許を獲得することです。

Yuの心身医学は、心の運転免許です。

タイトル春の苑 紅にほふ桃の花
記事No555   [関連記事]
投稿日: 2012/05/09(Wed) 23:24
投稿者sasada
春の苑

紅にほふ桃の花

下照る道に

出で立つをとめ


私のとっても好きな和歌です。

今年は、道場の運営が大変で、桃の花も、桜の花も、すっかり過ぎてしまいました。

やっと、一息ついて、まわりを見渡すと、

今も昔も、いたるところ、かぎりなく美しいYuの世界です。

Kが無ければ、すべて、かぎりなく優しいYuの世界です。

タイトル今宵会う人 みな美しき
記事No554   [関連記事]
投稿日: 2012/05/08(Tue) 16:24
投稿者sasada
「 清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 今宵会う人 みな美しき 」

という与謝野晶子さんの歌がありました。

みな美しきと感じるのは、晶子さんの心です。

幸せに満ちている時、世界は美しく見えます。

また、夜桜を見る人は、比較と競争の社会を、ひと時忘れて、桜の美しさに感動しています。

晶子さんの心もYuであり、桜を見る人もYuの子です。

Yuがわからないと言う人がいますが、Yuはありふれています。

ただ、幸せ一杯の時も、桜に感動している時も、いつまでも続かず、すぐに比較と競争の社会に連れ戻されるだけです。

私たちはYuの子であり、この世界はYuの世界ですから、比較と競争の社会が消えれば、人も私もこの世界も、そのまま、すべてYuなのです。

ただ、比較と競争の社会が消えるのが、ごく一瞬であるだけです。

タイトル自殺したい人が増えるー最も深刻なことは
記事No552   [関連記事]
投稿日: 2012/05/02(Wed) 17:47
投稿者sasada
ゴールデンウィークに入りました。

健康道場は、明日は、最高の入所者数になり、空きベッドが全くなくなります。

スタッフは、もう、懸命に働いています。

でも、道場は、春のうららかさの中で、静かです。

こんなに混雑しているはずなのに、ゆっくりした時間が流れて、穏やかです。楽しいです。

これが、健康道場の特徴です。

でも、世間では、つらい状態が進行しています。

今朝の読売新聞の記事です。

自殺したいと思う人が、23%にもなり、昨年より増加しているということです。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120501-OYT1T01517.htm

現代は、ルネッサンス文明の崩壊期で、さまざまなものが壊れていきます。

深刻なのは、年長者にとっては、生きる希望が壊れていくことです。

若い世代にとっては、生きる希望が見つからないことです。

ただ、それは、特に驚くことではありません。当然起ってくることです。

私が、深刻に感じるものは、希望の喪失ではなくて、無感動化です。

希望がなくなれば、探せばよいのです。

絶望すれば、絶望のエネルギーで、前に進めばよいのです。新しい時代を創ればよいのです。

しかし、無感動化すれば、何事も起りません。

古い船が沈んでいくのに、そのままじっと沈んでいくのを待っています。

新しい船を作ろうとするエネルギーが育ってこないのです。

これが、最も深刻なことです。