心療内科医笹田信五カウンセリングルーム

   大人の社会が「いじめ」です



  悲惨な「いじめ」の事件が続いています。先日も中学2年の男子生徒の自殺が報じられました。

  どうしてこのようなことが起こるのでしょうか。

  こんなに豊かな時代なのに、10代半ばで命を絶たねばならないことは、あまりにもつらく悲しい出来事です。

  子供は、この世に白紙の状態で生まれてきます。生き方や善悪の判断は、すべて大人から学びます。だから「いじめ」も大人から学んだものです。子供の発明ではありません。

  人類の歴史は、天災、飢饉、伝染病と大変苦しい時代でした。そのような貧しい時代では、わがままをしたり、謀反をしていては国や社会が滅びます。

  自分を押さえて集団のために生きることが、美徳であるというよりは絶対に必要なことだったでしょう。

  謀反者をギロチンにかける国もありました。比較的早くから民主的に裁判で裁く国もありました。そして日本の得意技は村八分でした。掟に違反した者は排除することでした。

  ただ、この掟も貧しい時代では、安全と衣食住が得られるという代償がありました。耐えることに意味がありました。

  しかし、豊かな時代になって、安全と衣食住は当然のようになり、掟の意味は無くなりました。なのに今なお、
「変わった人はいじめていい。排除していい」という意識は根強く残っています。

  人間が集まるところでは、どこでも「皆と違うと、仲間外れにされる」という意識に縛られてます。

  今問題になっている子供のいじめも、大人の村八分社会の反映ではないですか。「いじめ」の問題を検討する会議が、すでに「いじめ」の体質をもってはいませんか。

  たとえ10人でも、会議室の椅子に座って委員会を始めると、その席では変わったことは言えません。言えば、無視されたり排除されます。

  このように、私たちが無意識にしている大人の社会の物事の決定方法が、「いじめ」の構造ではないのですか。根回しをもとにした満場一致や会社の窓際族という解決法などは、まさに「いじめ」の手本でしょう。

  社会に原因があるのに、解決を子供に求めることは残酷なことではないでしょうか。

  解決のためには、一人一人の大人が、
「自分を守るために、皆と同じであろうとしてこなかったか」、「今なお、人間の価値を社会の評価で決めていないか」と振り返る必要があると思います。

  そして、「こころの時代」の生き方である「自分も周りも幸せになれる生き方」を得るために、
生かされてる医学の5つの発見を学んでいただきたいと願っています。


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