「何にもないのに、私は素晴らしい」という発見、これが私がお話ししたいことのすべてです。

  平成7年9月、
NHKラジオの「こころの時代」という番組に出演しました。「もの満ちて、こころ空し」という題で、私が15年にわたって続けてきた新しい健康医学の試みについてお話ししました。

  番組終了時から。五色県民健康道場の電話が鳴りだし、4、5日の間鳴り続けました。こんなにも新しい健康医学を求めておられる方が多いのかという驚きとともに、私も大いに自信を得させていただきました。

  今日の医療は素晴らしいレベルです。しかし、病気はなくなりません。人間ドックも普及してきましたが、病気の早期発見にはなっても、健康にはなれません。

  残念ながら現代医学は、予防医学、さらに、健康医学としては、まだまだ完全な学問とは言えません

  そのように現代医学に限界を感じていた20年前、ハイデルベルグにあった
ヨーロッパ分子生物学研究所に留学していたときのことです。兵庫県が公的絶食療法専門施設を淡路島の五色町と協力してつくろうとしているので来てほしいと要望されました。

  一方は今華やかな世界、もう一方は変な医者と言われかねない道、その選択には大いに迷いましたが、長年の思いのほうが強く、変な医者への道を決断しました。
                             

 教授からは「それは大学ではできないよ」と、暗にもう大学へは帰れないよと言われ、「なにを好んでそんなことを...」とか、「笹田一人の健康医学だね。」と言う先輩もいました。

  しかし、やがて教授はじめ先輩、同僚も一様に「君らしい選択だ。」と納得してくれ、その後は暖かい支援をしてくれました。

 それ以来、私は完全に医学管理されたファースティング(絶食療法)と坐禅の呼吸法から
丹田呼吸法性格分析のカウンセリング生かされてる医学的事実の理解という心療内科の根本療法の方法を完成し、過去25年間で2万人に指導をしてきました。これは勿論ギネスブックに載る記録でしょうが、指導した数が多いことだけでは自慢になりません。

  私の試みの中心は、これらの指導の中から、日常生活で誰でもが、心身の健康を得られる
「21世紀の健康医学」をつくりあげることでした。それを確立できたことが、最大の成果だと思います。

                             

 そして、平成7年1月17日、阪神大震災が起こりました。その惨状を前にして、心の復興のボランティア活動を始めました。

  その時から、私はこの新しい健康医学を「生かされてる医学」と呼ぶようになりました。

  振り返ってみれば、思い出すことがあります。大学院を卒業して、阪急電鉄の六甲駅の少し上手に在った六甲病院へ内科医として勤めていたときのことです。

  ある末期癌の患者さんの主治医となりました。当時は病名をお知らせすることは全くなかった時代です。むしろ、お知らせしないことが、患者さんのためになると考えられていたときです。

  私もそれらしき病名をつけて説明しておりました。治療といってもたいしたことはできません。医者としては無力感に満たされますし、本当のことを言わないので心苦しさも感じて、せいぜい言葉で慰めようとしておりました。

 「この暑さももう少しですよ。秋になったらきっと気分もよくなり、食欲も出て来ますよ」。「この病院の中庭の桜は非常にきれいです。そのころにはきっとよくなって退院できますよ。がんばりましょうね」。

                             

 ただ、いつまでたっても治らない胃潰瘍や悪くなるばかりの肺炎はおかしいです。病名は言わなくても、徐々に理解されるものです。

  ある日、その患者さんは、「先生は将来があっていいですね。これから結婚もされるでしょうし、研究もどんどんされて将来は有望でいいですね。」。

  決して皮肉ではなく、まじめに言われているのは、その患者さんの日頃を知っているので分かります。本当にそのように思われていたのでしょう。

  しかし、言われた私は「はっと」しました。安易な慰めなど、この方には何の役にも立たなかったのです。

  絶海の孤島に一人でいる人の孤独や不安を、大陸で多くの人達と明日への夢を抱いて生きている人間が理解できるはずはなく、この方のもっている言葉と、私の使っている言葉は同じようでも、全く異なる言葉だったのです。

  明るくて広く大きな将来がある人間の住む世界と、もう明日がない死を待つだけの人の住む世界は全く違うのです。

  私は、言葉を失いました。まさに絶句いたしました。安易な言葉で乗り切ろうとしていた自分が恥ずかしいというか、申し訳ないというか、でもそれ以外にどんな言葉があるのでしょうか。うろたえて、何かごそごそと口ごもって病室を出た思い出があります。

                              

 死のベッドの上では、患者さんはさまざまな思いをされます。「行け行けドンドンで走ってきて、仕事にも大いに成功した。しかし、もう死ななければならないのか。これでは走っただけの人生だ。」。

  あるいは「世間に気ばかり使って生きてきた。 これでは他人の人生を生きただけだ。こんなことなら、もっと自分を生きたかった。」。

  さらには「特に不幸もなく生きてきたが、なんとなく生きてきただけのように思う。このまま何となく死んでいくのだろうか。」と。

  病気に対しても、もう治療法がありません。それだけでも、主治医として私はこたえていました。今の医学ではこれ以上はできないのですが、申し訳ないという気持ちになります。その上、人生の悔いを残されるのを見るのは辛いものです。

  身体の健康医学は勿論必要です。しかし、人生も元気なうちに振り返っていただきたい。そのような心と身体の両面からの医学をしたい思いました。内科医として患者さんを見ているときも、研究室で実験をしていても、私の心は何者かにかき立てられていました。

  振り返ってみれば、その思いが私をここまで引っ張って来、「生かされてる医学」へと凝縮させたエネルギーだったと思います。ずいぶん日が経ってしまいましたが、「生かされてる医学」はその患者さんへの私の返答でもあります。

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