心療内科医笹田信五カウンセリングルーム

     

  先日の午前中、地元のラジオの生放送に出演しました。今回は、敬老の日が近づいているので、「歳をとることは素晴らしいか」というようなテーマを中心に、1時間あまりお話をしました。

  その後、午後からは別の会場で講演会がありました。冒頭「歳をとることは素晴らしいことですか」と聞いてみました。この講演は2回連続になっていますので、参加された方とは、もう顔見知りという感じで気楽な雰囲気です。その質問をぶっつけてみましたら、殆どが中年の女性でしたが、
一斉に「ノー」という返事でした。

  「当然と言えば当然ですが、でも少し考えてみてください。試験で40点しかとれなくても、次は80点とれるかもしれません。仕事がうまく行かなくても、次は成功するかもしれません。失恋しても、もっと良い相手が現れるかもしれません。

  大抵のことは、次のチャンスがありますが、歳をとることだけは、次ぎまた若くなるということはありません。だんだん歳をとっていくだけです。だから、歳をとることが素晴らしくないならば、人生が素晴らしくないということではありませんか。そうなのですか」

  会場からは、ため息のような諦めのような苦笑のような小さなざわめきが起こりました。「では、なぜ歳をとることが嫌なのでしょうか」、質問の方向を変えてみました。

  「若さや美しさがなくなるからですか」、女性が殆どですから、この質問には、殆ど全員の方がうなづかれます。「それでは、若さや美しさがあなたの価値の全てだったのですか。あなたの人世の価値はそのようなものだったのですか」、少し意地悪な質問になりますが、これは大切な問題ですから、やはりはっきりさせなくてはなりません。


  「あるいは、体力がなくなって動き回れなくなるからですか。もう子供たちから必要とされなくなるからですか。男性では、定年になり会社を辞めなければならなくなるからですか」。

  「そう、そう」という相づちが、そこここで聞かれます。「しかし、それは社会的な評価が下がるということで、自分の価値自体も下がることなのでしょうか。社会的な評価が自分の価値だということになれば、これから先、ますます悪くなる一方ではありませんか。

  もっと歳をとり、病気になったり、寝たきりにでもなれば、それこそ社会の評価は下がります。それとともに、自分の価値もますます下がり、殆どなくなるのではありませんか。それは暗いですね。暗い老後になりますね」。会場の雰囲気も暗くなってきました。不安を感じる一方、私はまだまだ寝たきりになるのには年数があると自分を説得しているという感じです。

  実際、私たちは、自分の価値を社会の評価によって確認しています。そして、歳とることを嫌なこと、情けないこととしてとらえています。ですから、暗いのです。


  どんなに、敬老の日といって大事にしてもらっても、老人だからというのでは、嬉しくありません。また、体が不自由になって介護してもらうときも、可哀想だからということでは、あまり嬉しくはありません。してあげる福祉、してもらう福祉では、寂しいですね。その暗さが心身相関を悪化させ、ますます病気になってしまいます。



  しかし、それは事実でしょうか。歳をとることは素晴らしくないということは、本当に事実なのですか。事実なら仕方がないのですが、もし事実でなかったとしたら、そのような価値観で暗い人生を送るのは、無駄ではありませんか。それこそ悔しいことではありませんか。


  よく考えてみてください。それはどう考えてもそれは事実とは思えません。常識のようにはなっていますが、錯覚にすぎません。
人間の価値は、社会の評価ではなく、『生かされてるという医学的事実』からくるものではないですか。若くても歳をとっても、その事実に変わりはありません。自分で心臓を動かしてはいません。太陽も酸素も水も、一方的に与えられています。

  生かされてる世界から見れば、私はかけがえのない大切な存在であり、100点満点です。何もないのに、私は素晴らしいのです。どんなにみじめになっても、生かされてる世界から見れば、私は素晴らしいのです。この事実を忘れてはいませんか。社会的な評価はあった方がいいでしょうが、なくても私の価値には関係がありません。


  確かに、貧しい時代なら社会の評価をもらわないと衣食住を得られません。生きてはいけません。しかし、豊かな時代なったのです。豊かさの意味は、衣食住から自由になって、自分を生きれる時代になったということです。生かされてる世界の中で自分を生きるという喜びを得られるようになったということです。これが、本当の幸せであり、人世の価値ではないでしょうか」

  会場がしいーんとなってきました。感動していただいているのか、あるいは訳が分からないと、とまどっておられるのか分かりませんが続けましよう。

  「ちょっと次の図を見てください。これは、ファースティング(絶食療法)で『爽やか指数』が30点以上上昇した人達のうちの468人について調べたものです。年齢ごとのファースティング前と復食後の『爽やか指数』です。つまり、歳をとれば『爽やか指数』も歳をとるのかということを調べたものです。

  しかし、10代も、20代も、50代になっても、『爽やか指数』は同じように高まります。大変高い値になります。しかも50代のほうが高いぐらいです。これから見ても、私たちのなかの『爽やか指数』は歳をとりません。

  健康も、幸せも、自分を生きるというのも能力の一つです。能力開発と考えてください。トレーニングしていかないと上手になれません。時間をかけなければならないのです。だから、歳をとることには意味があるのです。


  一年歳をとれば、それだけ自分の山を登るのが上手になり、また一年歳をとれば、それだけ上手になります。少しずつ登っていきます。最後の日まで現役で登り続けましょう。自分の山を登るのが人生の喜びです。

  そういう生き方ができれば、楽しくありませんか。歳をとることは素晴らしくはありませんか。何よりも、社会の評価で自分の価値を決めている生き方よりも、その方が本物であり事実の世界ではないですか。

  そのように生きれれば、心身相関も大変良くなり、元気もでてきます。病気になることも少ないでしょう。今日を、そういう生き方の出発の日にしませんか」とお話ししますと、多くの方がうなずいてくれました。まずは、一安心です。



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