心療内科医笹田信五カウンセリングルーム

                


  大学院のころのことです。研究生活が主でしたが、大学病院の9階にあった内科病棟も見ていました。卒業直後の研修医の先生のサポートという役割です。月に二度ほどは当直も回ってきました。

  ある時、医学部4年生の男子学生が入院してきました。胃ガンの末期でした。既に腹膜へ転移し腹水がたまり、大きなおなかになっていました。まだ学生でしたが、結婚して子供もいました。彼の病気、若い奥さんと幼子、大学の後輩ということで、私たちは特別の感情をもっていました。

  ある日の教授回診の時、彼は「先生、もう僕に効く薬はないのですか」と聞きました。さすがに教授は、言葉を失ってなにも言えません。講師や助手の先生があわてて、何とかとりつくろうとしましたが、いずれもしどろもどろであったことを覚えています。

  普通の患者さんであれば、教授も平静に対応できたのでしょうが、さすがに誰も冷静にはなれませんでした。

  当直の日がきて、私は彼の病室へいきました。主治医でもなく、日ごろ言葉を交わしたこともありませんので、死を前にした彼の目に耐え切れません。言葉少なく様子を尋ねて部屋を後にしました。彼はその翌日亡くなりました。

  医者である以上、死に立ち会うのは当然のことです。そのうち慣れるのが普通ですが、私は、慣れることができませんでした。「死とは何か」、亡くなっていく患者さんからは、常にこの返答を求められているように感じていました。

  死の問題に答えられないまま医者をしていることに、つらさを感じて、もはや耐えられないような気分になりました。空気がなくなり窒息するような息苦しさでした。

  死については、多くの人が、いろいろなことを語っています。しかし、たいていは理屈です。自己説得にすぎません。それは、生きている者の傲慢です。死に瀕した患者さんには何の役にも立ちません。そのことを、臨床の現場ではひしひしと感じていました。

  小さいころから、死は私にとって、最大の問題でした。医学部の学生時代は、図書館でありとあらゆる本を読んでいました。医学の勉強もしましたが、もっと長い時間を文学や宗教や哲学の本を読んで過ごしました。

  大学院当時は、まだ、私は死について何も答えられませんでした。私は自分に臨床医失格を宣言せねばなりませんでした。死はすべての人にとって最大の問題であり、最大のストレスです。この後も、死は私の健康医学の最大のテーマでした。

  長い時間が経過しましたが、「生かされてる医学」にたどり着きました。ようやく、答えを手にすることが出来ました。彼に対して、その他の患者さんに対して果たせなかったことを、今、この「老いと死の不安クリニック」で果たそうとしています。


前ページへ