タイトル | : FとKとの葛藤 ー フック |
投稿日 | : 2014/03/27(Thu) 00:48 |
投稿者 | : sasada |
F(自由に生き生きと生きたい自分)と、K(人に自分の存在価値を認めさせようとする自分)を、混同している方が、結構多いように思います。
FもKも、相手を倒そうとすることがあるからです。
しかし、目的は、全く違います。
Fは、自由を得るためです。
Kは、自分の存在価値を認めさせたいからです。
Fは、自分を縛っているものを、跳ね除けたいのです。跳ね除けられて、自由になれれば、相手のことは、もう、どうでも良いのです。
Kは、相手を倒すだけでは駄目です。自分が、相手より優位であることを認めさせなくてはなりません。
今まで、自分の存在を認めなかった相手に、自分の存在を思い知らさなければなりません。
時には、倒した相手の苦痛の顔を見なければ、気がすまないのです。
このように、FとKは、違うものです。
Kは、自分の存在価値を認めさせたいのですから、人を必要とします。社会を必要とします。
自分のプライドを満たすために、人を必要とするのです。それでなければ、自分の存在価値を感じることが出来ないのです。
それに対して、Fは、人を必要とはしません。人の上に建たなければ、自分の存在価値を感じられないというようなことはありません。
Fにとって、自分の存在価値を感じるのは、自分が自分でおれるときです。自由に生きれるときです。
Fにとって、社会は、自分を拘束するものです。わずららしいものです。
このFとKが、両方あり、葛藤する人がいます。
FとKとの葛藤、フックです。
自由でありたいFと、人に自分の存在価値を認めさせたいKとの葛藤です。
共に、「自分を生きたい自分」の葛藤なので、本来の新型ストレスからは、外れますが、自我に目覚めた人間独特の姿です。
また、この葛藤の理解は、FとKの違いを明確に理解できますので、大変重要です。
FとKを混同し、すべてKだと思っている人が、結構多いからです。
すべてKだと思ってしまえば、Fを消去することになります。
Fが消えれば、Fの選択はできません。
Fzero体験へと進み、Yuの子となる道が、閉ざされてしまいます。
これは、絶望になります。生きる希望を失います。
それだけに、FとKの違いをはっきりと知っておく必要があるのです。