タイトル | : FからしかYuに入れない理由 |
投稿日 | : 2014/03/02(Sun) 12:30 |
投稿者 | : sasada |
掲示板no.44の質問の答えが、分かったでしょうか?
答えは、Fを捨てることが出来ないからです。
「自分の山を登りたい」、「本当の自分を生きたい」という自分は、Fです。
この自分を捨てることは出来ません。
この自分を捨てることが出来るのなら、悩みや苦しみはありません。
EやNは、犬になれば、満たすことが出来ます。
犬になれば、社会適応はできます。
自分を捨てて、社会適応に徹すれば、ご飯も良い評価も得られます。
それができないのは、Fがあるからです。
DやKは、どうでしょう。
Dは獣になることで、Kは鬼になることなので、社会適応はできないので滅びることになるでしょうが、それでもそれを生きたいというのなら、滅んでも本望でしょう。
しかし、Fがあれば、DやKに徹することはできません。
Dは本能ですから、Fがあればむなしさがきます。
Kは社会適応ではありませんが、人に自分の存在価値を認めさせるのですから、人を必要としています。つまり、人に依存していることには変わりありません。
Kも、Fがあれば、やがてはむなしさに捕らえられます。
Sは、良いもののように見えますが、現実の問題として、最後までSで行けるでしょうか。
Fがあれば、Sを行うということは、Fを犠牲にすることになります。
6割、7割までは、Fを捨ててSで行けるかもしれませんが、やがては、抑えられ犠牲となったFの怒りや悲しみや空しさが強まってきて、壊してしまいたくなります。
私たち現代人は、Fを捨てきることはできません。
私たちは、本能から、自我に目覚めた存在です。
一時的には出来たとしても、Fを捨てることを貫くことは出来ません。
ということは、新型ストレスになるということです。
E、D、N、K、Sのどれを選んだとしても、Fを捨てきれないのでFが残ります。
E、D、N、K、SとFの葛藤、つまり新型ストレスになるということです。
Yuの世界に入ることが出来ず、新型ストレスの葛藤で、エネルギーを消耗して行き、最後は、無気力、無感動となり、滅びて行くということになります。
捨てることが出来ないのなら、そして、葛藤で滅びて行くことを回避したいのなら、Fを選ぶしかありません。
E、D、N、K、Sには未練があります。後ろ髪引かれる思いです。
しかし、Fしかありません。
E、D、N、K、Sも、Fも満たしたいと思えば、新型ストレスに陥り、今のままの自分が続きます。
何もかも得られなくなります。
いや、既に何もかも得られなくなった人もおられるでしょう。
結局、自分を捨てられないのなら、自分を選ぶしかありません。
苦渋の選択でしょう。
あるいは、やむ得ない選択でしょう。
これが、第一幕です。
第二幕は、どうなるのでしょうか?
苦渋の選択、やむ得ない選択で選んだFも、観念して選んでしまうと、意外な世界が見えてきます。
Fは、本当は、自分が生きたかったものだということです。
社会適応を優先しなければならないという親や社会からのしばりのために犠牲にしてきたものです。
あるいは、馬鹿にされてはならない、後ろ指を差される人間なってはならないという親や社会からのしばりのために犠牲にしてきたものです。
Fを選んでみると、自分の願いであったことに気づきます。
これは、厚い曇り空に、一筋の光がさすようです。
苦渋の選択であったものが、実は、自分の願いだったのです。
次は、3幕目にです。
しかし、Fは、「自分のことしか考えられない自分」です。
どこまで行っても、「自分のことしか考えられない自分」です。
DやKほどまでは、嫌われないかもしれませんが、E、N、Sのように社会適応などできるはずはありません。
E、D、N、K、Sが、社会と共にあるのに、Fは、孤立と孤独と死の不安です。
自分勝手で一人ぼっちで死んでいく運命です。
第三幕は、やはり絶望です。
では、第四幕は、あるのでしょうか?
世界の歴史を学んでください。
第四幕はありません。
ニーチェにしろ、ドストエフスキーにしろ、キェルケゴールにしろ、その後に続いたさまざまな人にしろ、第三幕までです。
それらの人達は、鋭い批評能力や感性によって、自我に目覚めた現代人の運命を指摘しましたが、解決法を見出すことは出来ませんでした。
現代人は、新型ストレスで、エネルギーを失い、無気力、無感動となり滅びていく。
Fを選択したとしても、孤立と孤独と死の不安の中で、自滅していく。
第四幕は、ありません。
そのことを、よくよく理解していただいたとき、初めて、Fzero体験のもつ意味が分かります。
第四幕目は、Fzero体験です。
ただ、Fzero体験は、それだけでは、容易に実感できません。
私たちの過去、そして、人類の過去が、私たちを縛っているからです。
それらを切り離す方法が必要です。
それが、6つの刀です。
自分の死の直視、Yuの医学的理解、性格分析によるしばりの明確化、Yuの歴史観、Eの確保、ISCです。
これらの6つの刀を、常日頃から磨き育てていって始めて、Fzero体験ができるようになります。
第五幕目は、喜びです。
Fzero体験と6つの刀で、生きている喜びを得ることです。
この世界は、Yuの世界であり、私はYuの子です。