生かされてる医学のカウンセリング(性格分析1)
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タイトル 「自分で生きている」は、存在の否定、自己否定の世界
投稿日: 2014/01/19(Sun) 21:59
投稿者sasada

  「自分で生きている」ということと、「生かされてる」ということは、ほんの少しの言葉の違いだけのように見えます。

  確かに言葉としてはそうですが、その中身は全く異なります。「自分で生きている」というのは、存在の否定、自己否定だからです。

  自分を肯定できる日は、充実感があり、明るくてウキウキとした世界です。しかし、自己否定の日は暗く憂鬱です。

  暗く憂鬱になってくると、コップを1個割っただけでも死んでしまいたくなることがあります。

  充実感に満ちているときには、失敗も陰口もいじめも何のそのです。うじうじと群れて人の悪口を言っている人たちが、弱く哀れに見えます。

  生きているのか死んでいるのかも分からない人たち、人間に生まれてくる必要などなかったんじゃないか、とすら思えます。

  同じ世界なのに、自己否定と自己肯定とは、これほどまでに違うものです。本当に、自己否定は恐ろしい暗闇の世界です。

  その自己否定の原因で重要なものは、幼い日の存在の否定体験ですが、最も根本にあるものは、「自分で生きている」ということからくる存在の否定です。

  「自分で生きている」と考えると、自分の生命は自分で守らなければならないという強迫観念に支配されます。最後には「死んだら灰になっておしまい」が来ます。

  「死んだら灰になっておしまい」は、最大の存在の否定です。自分は所詮は空しいものです。心から晴れやかに笑うことはできません。自己否定に陥ります。

  また、「自分で生きている」という考えからは、社会の中で、生存競争をしなければならないという強迫観念が発生します。戦い、競争に勝ち、社会の評価を得なければ、生きていけないという思いで生きることになります。

  社会で勝ち続けることは不可能ですから、社会から存在の否定体験を受けることになります。緊張と不安、自律神経失調症に落ち込みます。

  「自分で生きている」というのは、死と社会からの二重の存在の否定を受け、自己否定に支配されることになるのです。

  このような状態で、自信がもてますか? 自己肯定ができますか?  今ある自分を、この人生を喜べますか?

  貧しい時代には、このようなことは問題になりません。ご飯を食べることが、最大の目的であり、幸福でした。ハングリーなエネルギーは、強力なものです。

  何もしなくても、エネルギーは湧いてきます。物質的により良い生活をすることが希望です。エネルギーも希望も、湧いて出てくる時代です。

  死と社会から存在の否定により、自信喪失で苦しむのは、物質的に豊かな時代となり、さらにもう発展できなくなった国に起こる現象です。現代の日本が、まさにその状態にあるわけです。

  しかし、それは単に貧しいとか豊かとかいう表面的な問題ではなく、その根底は、自我の芽生えなのです。

  衣食住で精一杯のときには、自我は芽生えません。ご飯が大事です。つまり、傷つく自分がないのです。傷つく自分がなければ、どんな行動もできます。失敗も苦になりません。

  正確に言えば、勿論、自我はあるのです。人間である以上、自我のない人はいないのですが、自分を生きたいというような自我意識が芽生えてはいないのです。自我がおぼろげな状態で、目的が、完全に社会適応になっている、つまりEとDで、何の空しさもないという状態だということです。

  発展途上国のエネルギーは、このようなものですし、過去の日本も、そうであったのです。

  しかし、豊かな時代になれば、自我は、自分を生きたいと願い始めます。これもまた、当然のことですし、自分を生きなければ、人間に生まれる必要はありません。EとDだけが目的なら、動物で良かったのです。
 
  動物の本能は実に素晴らしいものですが、人間は本能からかなり自由にしてもらっているので、人間の本能はお粗末なものです。

  中途半端に、人間に生まれて、本能もお粗末、社会適応もうまくできず、傷つく自我だけ、これでは本当に人間に生まれなかったほうがよかったですね、と言いたくなります。本当に悲しいことになります。

  「人間に生まれたからには、自分を生きる」、この喜びを得なくては、意味がありません。だから、自我の芽生えは、大いに歓迎なのです。

  ただ、自分を生きたいと思う自我が、「自分で生きている」という考えを持てば、死と社会からの存在の否定を受け、自己否定に落ち込みます。自己否定に落ち込めば、中途半端な人間になります。現代の私達が陥っている状態です。

  「生かされてる」のは、Yu(ユー)によって生かされてる事実の世界です。かぎりなく優しい、無条件の存在の肯定です。また、死は終わりではありません。新しい身体をもらう出発です。

  「自分で生きている世界」と、Yu(ユー)によって「生かされてる世界」は、このように全く違う世界なのです。


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