タイトル | : N(評価と優しさが欲しい自分)は、2つの目的がある |
投稿日 | : 2014/04/10(Thu) 18:45 |
投稿者 | : sasada |
Nには、2つの目的があります。
Nは、良い評価や優しさを得るために、自分を抑えて社会適応する良い子ちゃんの自分ですが、何を目的に、そのようにするのでしょう。
良い評価や優しさを得て、何が満たされるのでしょう。
何か、得することがあるのでしょうか。
そうです。欲しいものは、2つあります。
一つは、ご飯であり、もう一つは、Yuの優しさです。
ご飯の場合ですが、ご飯は、Nではなくて、E(ご飯のために、自分を押さえて社会適応しようとする自分)でした。
確かに、ご飯は、Eなのですが、ご飯を得るためにどうするかです。
私たちは、直接、ビジネスや金儲けを目指すよりも、良い子になって、良い評価をもらい、ご飯を得るというのが、普通の道です。
自分で会社を作ったり、商売をする場合も、お客さんの評価を大事にしますが、お客さんから良い評価をもらうことが目的ではありません。
良い評価をもらうために、笑顔になったり、時には、犬にもなりますが、あくまでも、利益を得るためで、利益をくれないとわかると、態度は、一変します。
もう一つのE(ご飯)を得る方法は、会社や組織に雇われることです。雇われ人として、良い評価をもらい、ご飯を得ます。
自分で会社を作ったり、商売する人は、それほど多くありませんので、大多数の人は、この方法になります。
雇われる人の場合も、ご飯のために、良い評価を得ようとしているのですが、そのことを意識している人と、あまり意識していない人がいます。
お金のことをあまり言うと、がめつい子と言われ、良い子という評価をもらえなくなりますので、親は、「良い子でいなさい。そうすれば、幸せになれます。お金のことを言ってはなりません。」と言って育てることがあります。
この場合は、良い評価をもらうことが目的となり、評価が下がると、何の不安かがわからず、ますます不安になるという悪循環が起こります。
評価がもらえないと言って、大変な不安で苦しんでいる人の原因を探っていくと、この場合であることが少なくありません。
Nのもう一つの目的は、愛や優しさの獲得です。
ここで問題なのは、欲しいのは、どのような優しさであり、誰からの優しさかということです。
それは、無条件の優しさです。そして、それは、小さいときにもらった、親の優しさです。
子供が生まれて間もなくのとき、親は、Yuの優しさで、子供を育てます。
この無条件の優しさは、格別のもので、たとえようもないほどの、安らかさと心地よさです。
しかし、次の子供が生まれたら、もうもらえなくなります。
次の子供が生まれなくても、少し大きくなると、もう、もらえません。
親も、普通の人間ですから、自分のことに戻ります。
殆どの人は、忘れてしまっていて、意識していないと思いますが、この無条件の優しさは格別なものとして、無意識の中で生き続けます。
しかも、少ししかもらえなかった無条件の優しさは、少ししかもらえなかったがゆえに、忘れられないもの、あきらめられないもの、絶対に欲しいものとして、その後の人生を縛ります。
Nは、普通は、社会のなかで、周りの人や、いろいろな人の優しさが欲しいということなのですが、根底で、本当に求めているのは、そうではないのです。
社会や普通の人には、求めても得られないものを、求めます。
自分も不完全であり、相手も不完全です。自分も欲しい欲しいの人間であり、相手も欲しい欲しいの人間です。
なのに、お互いが相手に、永遠の優しさや、無条件の優しさを求めて、恋愛や、結婚しますが、失望に終わるのは、このためです。
小さなときに親からもらった無条件の優しさは、無意識になっているとはいえ、忘れられません。
それは、大きくなれば、もう親からはもらえません。まして、普通の人間からは、もらえません。
確かに、それは、親を始め人間からはもらえませんが、絶望することも、あきらめる必要もありません。
Yuの優しさは、Fzero体験で、Yuの子になれば、Yuからもらえるからです。
Nのご飯の部分は、Nは、ご飯のためにしていると自覚し、社会適応をすれば解決できます。
簡単に、社会適応はできませんが、努力して、社会適応能力を育てていけば、解決への道筋は見えてきます。
評価が下がるから、もっと評価をもらえるようにしなければならないと、評価をもらうための努力をし、それが出来ないと、落ち込み、不安に飲み込まれ、自滅のシナリオになることは、防げます。
しかし、目的が、Yuの優しさの場合は、どんなに客観的になろうとしても、どんなに献身的になっても、どんなに社会適応能力を高めようとしても、無駄です。
多少の優しさはもらえても、それで、満ちたりるはずはありません。
もっとがんばっても、もっと努力しても、だめです。
絶望的になり、うつ状態に陥り、自滅のシナリオになるだけです。
人にも、社会にも、ないものを求めているからです。
しかし、Fzero体験で、Yuの子になれば、Yuの優しさに満たされます。
西洋文明にも、東洋文明にもありませんが、私たちには、可能なのです。
Nの縛りは、Yuに至って始めて、開放されるのです。