タイトル | : Yu(ユー)の宇宙観・歴史観・死生観 |
投稿日 | : 2014/01/19(Sun) 17:24 |
投稿者 | : sasada |
Fzero(Fo)体験をやり易くするために、いろいろなことを学んでいきます。
今日は、Yu(ユー)の宇宙観・歴史観・死生観についてのお話です。
まず、宇宙観です。Yu(ユー)が存在し、Yu(ユー)は、この宇宙を、法則と優しさで造っています。
宇宙の大きな生命の世界の中で、Yu(ユー)は、かぎりない優しさで、私たちを生かしてくれています。条件は一切ありません。感謝しなくても、太陽は昇ります。立派でなくても、心臓は動きます。
無条件の愛、無条件の存在の肯定です。私は、Yu(ユー)にとってかけがえのない存在です。私の存在は、Yu(ユー)にとっての喜びです。
一方、Yu(ユー)は、この宇宙を法則で造っています。宇宙の動きについての法則は、物理学で理解できます。私たちの生命については、医学で理解できます。
さまざまな科学は、本当は、私たちに、Yu(ユー)の世界が法則によって成り立っていることを教えてくれる学問なのです。
次は、Yu(ユー)の歴史観です。人類の歴史は、原始時代、原始宗教の時代、本格的宗教の時代、ルネッサンスの時代に分けられ、現在はルネッサンスの時代の崩壊期です。
ルネッサンスの時代は、科学とヒューマニズムの時代ですが、科学は唯物論となり、ヒューマニズムは自己中心主義になりました。そして、20世紀は、物質的な豊かさは手に入れたが、戦争による大量虐殺という暗黒の時代を作りました。
もはや、私たちは、物質を目的とした自己中心主義で生きていくことが空しくなりました。テロが起こり、地球の終焉の可能性が広がっています。ルネッサンスの時代の崩壊です。
物の時代が崩壊して、心の時代に入らなければならないのですが、世界中どこを見てもK(我)ばかりとなり、このままでは、人類はK(我)によって滅びるでしょう。何とか、K(我)から脱却しなければなりません。
K(我)から自由になるためには、無条件の愛、無条件の存在の肯定が必須です。それは、Yu(ユー)からしか来ません。さらに根本的に大事なのは、自分の中にあるYu(ユー)を知ることです。自分の中にあるふとした優しさの自分、人の笑顔を見たい自分を発見し、その優しさ自分を生きることです。そのことにより、Yu(ユー)の時代を造らなければなりません。
歴史を動かした人々の面から見ると、歴史は、支配者と大衆とYu(ユー)を見た人の3者によって、動かされてきました。
支配者は、支配と奪略と戦争の歴史を作りました。大衆は、支配者側につきました。
キリストやお釈迦さん、さらにそれに連なる人々は、Yu(ユー)を見た人ですが、Yu(ユー)を見た人は、武力も、お金も、権力も、何も持ってはいません。自由・平等・博愛の旗を掲げることしかできません。
支配者と大衆の暗黒の歴史の前で、Yu(ユー)を見た人は孤立無援です。迫害を受け、時には殺されます。何の力も影響力もないように見えます。しかし、自由・平等・博愛は、徐々に人間の歴史の中で実現してきました。
20世紀は、まさに暗黒の世紀ですが、それでも、自由・平等・博愛が大きく広がった世紀でした。21世紀は、自由・平等・博愛の完成の時代です。
過去の長い時代のあまりにも悲しい犠牲を払って、人類はようやく自由・平等・博愛の完成期を迎えました。生かされてる医学が誕生し、Yu(ユー)の時代の実現に向かって一歩歩みだしました。これが、Yu(ユー)の歴史観です。
最後は、Yu(ユー)の死生観です。死んだら灰になっておしまいというのは、唯物論に過ぎません。科学的な根拠も証明も一切ありません。唯物論を信仰しているに過ぎません。
事実は、細胞から私は発生できません。身体は、60兆個の細胞でできていますが、すべて精子と卵子が結合した1個の受精卵から増加したものです。精子の中にも、卵子の中にも、受精卵の中にも、私はいません。受精卵が分裂増加した75兆個の細胞の中にもいません。
身体は、私がYu(ユー)からもらったものであり、もらった身体が死んでも、私は消滅しません。死は私の終わりではありません。
これらのYu(ユー)の宇宙観・歴史観・死生観によって、私は存在の肯定を得ます。
大きな宇宙のなかで、私は、Yu(ユー)にとってかけがえのない存在です。これが、Yu(ユー)の宇宙観による、私の存在の肯定です。
人類の歴史は、Yu(ユー)の時代を迎えようとしています。Yu(ユー)の時代を実現できなければ、人類は「我」で滅亡します。
Yu(ユー)を学び、Yu(ユー)を生きようとしている私たちは、Yu(ユー)の人です。21世紀が求めている人間です。これが、Yu(ユー)の歴史観による、私の存在の肯定です。
死んだらおしまいでは、私の存在は決定的に無意味になります。否定されます。しかし、死は終わりではありません。死によって私は消滅しません。死は、新しい身体をもらうことです。これが、Yu(ユー)の死生観による、私の存在の肯定です。
「Yu(ユー)の宇宙観・歴史観・死生観によって、私の存在が肯定されている」ということを理解しましょう。
ただ、理解することが目的なのではありません。それによって、Fzero(Fo)体験がやり易くなるということが大事なのです。