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タイトルFトレ、Yuトレの効果から見た新型ストレスの4つのタイプ
記事No131   [関連記事]
投稿日: 2014/04/14(Mon) 17:40
投稿者sasada
新型ストレスを考えるとき、4つに分けて考えると、分かりやすいです。

まず、社会適応能力です。社会適応能力がある人と、ない人がいます。

次に、社会適応しようという気持ちのある人と、ない人がいます。

Fトレ、Yuトレが、最も効果をあげやすいのは、

社会適応能力があって、社会適応しようという気持ちのある新型ストレスです。

最も、効果をあげられないのは、

社会適応能力がなく、社会適応する気持ちもない新型ストレスです。

その間の、

社会適応能力はあるが、社会適応しようという気持ちのない新型ストレスの人と、

社会適応能力はないが、社会適応をしようという気持ちのある新型ストレスの人です。

この二つの間では、どちらが、効果を上げやすいかというと、

社会適応能力はないが、社会適応をしようという気持ちのある新型ストレスの人です。社会適応能力は、新型ストレスが解決できれば、身につけることは難しくないからです。

よって、効果を上げやすい順から並べると、

タイプ1.社会適応能力があって、社会適応しようという気持ちのある新型ストレス

タイプ2.社会適応能力はないが、社会適応しようという気持ちのある新型ストレス

タイプ3.社会適応能力はあるが、社会適応しようという気持ちのない新型ストレス

タイプ4.社会適応能力もないが、社会適応しようという気持ちもない新型ストレス

です。

生かされてる医学が、サポートしようとしているのは、タイプ1とタイプ2の人です。

それは、そうでしょう。

人間は、衣食住と身の安全を、社会を営むことによって得ています。

社会がどんなに未熟で、情けない状態であっても、この社会に適合しなければ、生きていけません。

社会適応したくないというのでは、どのようにして生きていくつもりでしょうか。

誰かに依存するか、誰かを支配するか、でしょう。

そのような人を、サポートできませんし、するつもりもありません。

ただ、社会適応と言っても、この未熟で、情けない社会に適合するだけで良いのかという問題があります。

人間は、社会なくしては生きていけないのですから、良い社会にしなければなりません。

では、どうするかです。

心配は要りません。

Fトレ、Yuトレで新型ストレスを解決して、社会適応できるようになれば、Yuの子として、生きることになります。

それが、社会をYuの社会に、世界をYuの世界にする、最も、効果的な方法です。

希望が、育つ道です。

是非、進みましょう。

タイトル新型ストレスの解決方法ー最初は戦車のような乗用車
記事No130   [関連記事]
投稿日: 2014/04/13(Sun) 13:36
投稿者sasada
Fトレ、Yuトレをすれば、自分の問題のすべてが、解決できる。

自分の問題を解決するには、Fトレ、Yuトレしかない、しかも、よく学んでみると、それは、自分の本心が望んでいた方法だ。

そのように確信でき、自分の人生のすべてを投入すれば、自由になれます。喜べる人生が得られます。

しかし、それには、エネルギーが必要です。

確信するだけでも、大変なエネルギーが必要です。

まして、日々、刻々、実践していくには、莫大なエネルギーが必要です。

そんなエネルギーを、どこから得るのでしょうか。

どこから、手に入れるのでしょうか。

戦車のような乗用車があります。

運転する能力や技術は、それほど難しくはありません。

完成された車ですから、きちんと学べは習得できます。

そのためのサポートも十分に得られます。

後は、ガソリンです。

戦車のような乗用車ですから、大量のガソリンが必要です。

特に、つらいのは、最初です。動かすときに、最も、ガソリンを必要とすることです。

走り出せば、それほど、ガソリンは、いりません。

もっと走れば、もっと少ないガソリンで、快適に走れます。

ふと気づくと、水陸両用で、しかも、空も飛べる自由自在な乗用車になっています。

素晴らしい乗用車であり、人生です。

さあ、そのガソリンです。

私たちは、苦しくなければ、何もしようとはしません。

苦しくて、つらくて、悲しくて、バカバカしくてなって、

では、どうするかと言うと、依存と攻撃を繰り返しています。

野原で、ガソリンをまいているようなものです。

野原にガソリンをまいても、野原が燃えたり、時には、自分もやけどをしたり、最悪の時には、自分も周りの人も焼死します。

そのガソリンを、戦車のような乗用車に入れれば、走りだせます。

社会適応をしようとすれば、苦しいです。嫌なことばかりです。悲しくなります。バカバカしくてやっておれません。

それが、ガソリンであり、エネルギーです。

社会適応できる新型ストレスの人には、苦しいですが、エネルギーがあるのです。

やがて、自由自在な車になる最初は戦車のような乗用車とは、生かされてる医学のFトレ、Yuトレのことです。

親切で十分なサポートとは、ISCのことです。

社会適応できる新型ストレスの人が、社会適応することで起こる苦痛やつらさやバカバカしさが、戦車のような乗用車のガソリンです。

時間はかかります。しかし、やり続ければ、なんとか、死ぬ日までには、自由自在の生き方が手に入るでしょう。

問題は、社会適応できない、あるいは、社会適応しようとしない新型ストレスの人です。

この人には、ガソリンはありません。無気力、無感動化しています。

まだ、日本は、国にも、家庭にも、余裕がありますので、無気力、無感動の人も、生きていけます。

しかし、日本社会は、急速に、経済が悪化する可能性が強くなっています。格差が拡大し、二極化が進んでいくでしょう。

貧しくなって働かなければならなくなりますが、新型ストレスのために、社会適応能力も、自分を生きる能力も身についていません。

しかも、能力のない人にあるのは、厳しい労働環境の仕事ばかりです。

社会適応できない、あるいは、したくない新型ストレスの人たちの行く末は、悲惨であり、大変、心配です。

しかし、無気力、無感動化で、ガソリンがありません。

どうするのかということです。

それは、社会適応できる新型ストレスの人が、戦車のような乗用車を手にいれ、そこに、自分のガソリンをいれて、走ることです。

始めはノコノコとしか走れませんが、やがて、爽快に走れます。

爽快に走っている自由自在な乗用車を見れば、社会適応できない、したくない新型ストレスの人も、その乗用車に乗って走ってみたくなります。

最初は戦車のような乗用車と操縦マニュアルは完璧に完成しており、しかも、自分の親や身近な人が、既に、走っているのですから、困難ではありません。

走ってみると、楽しいです。うれしいです。エネルギーが沸いてきます。希望がでてきます。

社会適応してみようという意欲も、社会適応能力を育てようという気持ちもでてきます。

以前は、社会適応は、自分を生きることを切り捨てなくてはならないので、したくなかったのです。

既に、自分を生きる喜びを知ったのですから、社会適応ができれば、この喜びや楽しさを味わっていけるのです。

社会適応は、それでも、やはり、つらくて、苦しいですが、それが、ガソリンであることも、今は、理解できます。

これが、社会適応できない、したくない人を救う方法です。

従来型の「元気を出せ。強くなれ。動じない人間なれ。負けるな。」という解決方法をすれば、もっと、自分を抑えろということですから、状態は悪化します。

新型ストレスは、過去の方法では解決できません。

まだ、殆どの人は、過去の中には、新型ストレスを解決する方法がないという深刻さを知りません。

周りに、社会適応できない、したくない新型ストレスの人がいれば、その人を救う方法は、社会適応できる新型ストレスである自分が、自由自在な乗用車に乗って走ることです。

これが、生かされてる医学の新型ストレスの解決方法です。

タイトル厳しい社会適応とISCの会員ー恵まれた状態
記事No129   [関連記事]
投稿日: 2014/04/12(Sat) 23:59
投稿者sasada
「現実の生活で、今、大変、苦しい状況にあります。」という報告をいただきました。

実生活で、今、苦しい状態におられる方は、実に幸いです。

生かされてる医学のFトレ、Yuトレを試すことができるからです。

社会適応をしなければ、生きていけません。

社会適応は、絶対に必要です。

しかし、社会適応は、つらいものです。嫌なもの、苦しいものです。

そこで、問題です。

なぜ、つらいのか。なぜ、嫌なのか。なぜ、苦しいのかです。

Dか、Kか、Fか、Sか、が抑えられています。犠牲になっています。

何度も何度も繰り返して、どれが抑えられているか、どれが犠牲になっているか見てみましょう。

Dや、Kや、Sなら、解決はできません。

しかし、Fなら、喜べます。

勿論、Fは、自由気ままに生きたい自分です。自分は自分でいたい自分です。わがままを通したい自分です。

Fは、そのままでは、確実に自滅することは当然です。

しかし、Fには、Fzero体験があります。

社会適応が厳しければ厳しいほど、Fの窒息感は、強まります。

どんなにFが弱くて、普通の時には、Fトレができない人も、

社会適応が厳しくて、Fの窒息が強くなれば、Fを自覚しやすくなります。

初めから、Fの強い人では、強烈なFを感じます。

Fが明確になれば、後は、Yuトレです。

社会適応の厳しさの中で、Fトレ、Yuトレをして、Yuの子になる体験ができたら、そして、それを、繰り返していけば、やがて、自由自在の生き方ができるようになります。

社会適応が厳しいからこそ、できることです。

厳しい社会適応と、生かされてる医学サポート倶楽部 (ISC)の会員であること、

それは、つらいけれど、恵まれた状態にあるということです。

タイトル何をするのか
記事No128   [関連記事]
投稿日: 2014/04/12(Sat) 21:10
投稿者sasada
生かされてる医学で、何をするのかということですが、

FトレーニングとYuトレーニングです。

それ以外には、ありません。

どのようなときに、Fトレ、Yuトレをするのかというと、

まず第一に、問題があるときです。

楽しくないとき、苦しいとき、悲しいとき、腹が立つとき、不安なとき、傷ついたときなどです。

問題が、大きいとか、小さいとかは、関係がありません。

深刻だとか、少しだけとかは、関係がありません。

長引いているとか、ほんの瞬間であるとかは、関係ありません。

原因がわかっているとか、分からないとかは、関係ありません。

自分が正しいとか、間違っているとかは、関係がありません。

問題があるのかどうか、機嫌よく生きれているかどうかだけが、判断基準です。

どのぐらい、Fトレ、Yuトレをしたら良いのかということですが、問題が消えてなくなるまでです。

「現実に問題が起こっているのに、Fトレ、Yuトレで、その問題が消えてなくなるなんてあり得ない。」、と思う人もいるでしょう。

その人は、しなくて結構です。

説得しようという気持ちは、私には、ありません。

本気で、Fトレ、Yuトレをしようという人を、本気で支える、私がすることは、それだけです。

学べる人だけが、学んでください。

現実の問題が、消えてなくなるまで、Fトレ、Yuトレを、本気でしてください。

各人の熟練の程度により、短い時間で、問題が消えてなくなることもあれば、数日も、数ヶ月もかかるときがあります。死ぬ気でしてください。

嫌なこと、つらいこと、ばかばかしいことがあるから、Fトレ、Yuトレができるのです。

それを、Fトレ、Yuトレに繋がなければ、Fトレ、Yuトレを、いつするのですか。

それを、「嫌だ。つらい。ばかばかしい。」と言っているようでは、ISCの会員ではありません。

Fトレ、Yuトレのチャンスを潰しています。Fトレ、Yuトレは、一生できません。

一度でも良いから、Fトレ、Yuトレを真剣にすれば、現実の問題が消えてなくなることを経験してください。

一度でも、それを経験すれば、人生が変わります。


次は、機嫌よく生きれているとき、あるいは、適当に生きれているときです。

機嫌よく、あるいは、適当に生きれているときは、大抵は、トレーニングはできません。

Fトレ、Yuトレによって獲得した機嫌の良さではありません。たまたま、偶然にうまくいっているだけです。

その機嫌の良さや、適当な生き方も、過去の自分の縛りが達成されている、あるいは、満たされていることによるものです。

客観的に見れば、過去の縛りを満たしているだけなので、問題だらけなのですが、本人は、気づきません。

時間の問題です。

機嫌の良いときや、適当に生きれているときこそ危ないということを意識して、Fトレ、Yuトレをしなければなりません。

大事なのは、優先順位です。

常に、優先順位を考えなければいけません。

優先順位をつける、これができるかどうかです。

人生は、短いのです。

いつ死ぬかもしれないのです。

時間を無駄にはしたくないのです。

しかし、言うのは容易いですが、機嫌の良いときや、適当に生きれているときに、Fトレ、Yuトレをすることは、極めて、難しいです。

ですから、嫌なこと、つらいこと、バカバカしいことがあるときにしか、Fトレ、Yuトレはできないのです。

それなのに、あれは嫌、これも嫌と、不平や不満を振り回しているようでは、一生、Fトレ、Yuトレはできません。

ただ、このように言うと、嫌なことや、つらいことや、バカバカしいことを我慢しなさいと言っているように受け取る人がいるかもしれません。

そのように受け取るなら、生かされてる医学を、全く理解できていません。100%理解できていません。

厳しい言い方をしているようですが、この点は、生かされてる医学の生命線だからです。生かされてる医学の存在理由だからです。

Fトレがあり、その上で、Yuトレをする、という理由そのものだからです。

タイトル実生活で、自分を生きて社会適応をする生き方
記事No127   [関連記事]
投稿日: 2014/04/11(Fri) 22:05
投稿者sasada
いつも指導している方から、次のような問診票がきました。

「昨日の午後は、久しぶりに仕事がなく、帰りに保育園に子供を迎えに行くよ、と連絡しました。

その後、急に、仕事が入り、帰れなくなりました。

FとFの葛藤で、今日の朝は、とっても気分が悪いです。」

そこでお聞きしました。

「帰りに、子供を、保育所に迎えに行こうとしたのが、仕事のためにできなくなったということですが、

仕事のためにということで、これは、Eか、Nですね。

次に、子供を迎えに行こうということですから、これは、Fではなくて、Sなのではないですか?」

「いえ、そうではなくて、午後から仕事がなくなり、自由になれるのがうれしかったのです。子供を迎えに行きのは、帰り道なので、第一ではないのです。

早く会社から、開放されることが妨げられたのが苦痛だったのです。」

「わかりました。それは、確かに、Fですね。良かったですね。」

と申しました。

自分の自由よりも、子供のことを優先させるのが普通です。

子供のことよりも、自分の自由を優先させることが良かったということは、世間の常識から言えば、わがままです。

ISCは、わがまま倶楽部かということになります。

確かに、そうなのです。

ただ、NとSを両立させる方法はありません。

社会適応は、絶対に必要ですから、放棄することはできません。

また、子供のことは、なによりも大事です。

結局、どちらもできないままになり、自滅のシナリオです。

では、生かされてる医学はどうするのかです。

社会適応は、EかNですが、生きていくために必須ですから、しっかり適応しなくてはなりません。

しかし、そうすれば、Fは、窒息します。

社会適応をすればするほど、Fの窒息は強くなります。

Fは、こんな状況を壊してしまいたくなります。

それは、困りますから、Fを救わなくてはなりません。

どうするのか。

それが、Fzero体験です。

社会適応は、しっかりし、窒息するFは、Fzero体験で救うのです。

苦しくならないと、Fzero体験はできません。

人間は、決して、できの良い存在ではありません。

気楽で、快適時に、Fzero体験なんかしません。

苦しいからこそ、Fが窒息するからこそ、Fzero体験ができるのです。

Fzero体験は、社会適応しながらできます。

Fzero体験は、丹田呼吸法をすれば良いのですから、丹田で呼吸さえできればできます。

仕事をしていますから、頭はカラッポにはなりませんが、日々、練習していると、仕事をしながら、丹田に重心を置くだけで、Fzero体験ができるようになります。

このようにして、仕事は、Eであり、Nですが、仕事と、Fを両立させることができます。

Fzero体験は、自分だけでできますので、いつでも、どこでも、何をしていてもできます。

また、子供を迎えに行くときも、Fzero体験はできます。

SとFzero体験も両立できるのです。

自分のことは、Fzero体験で満たされますので、後は存分に、Sをすれば良いのです。

勿論、昨日、仕事をすれば、子供を迎えにはいけません。

子供は、仕事のために犠牲になります。

しかし、これは話せば分かります。

また、真剣に仕事をしなければ、生きてはいけないということを示すことは、決して無意味ではないでしょう。

子供も、これから社会適応をして生きていかなくてはならないからです。

社会適応を軽んじていては、生きていけないということを、子供も、学ばねばならないからです。

それでは、物の時代と同じではないかと思われるでしょう。

しかし、それは違います。

物の時代は、自分を押さえて、社会適応する生き方です。

その生き方は、自我の大きくなった子供にとっては、耐えられません。

自分が窒息し、苦痛だけです。

ニートに代表されるような社会適応ができなくなった無気力、無感動の若者になります。

しかし、今お話している生き方は、Fは、窒息しません。

Fは、Fzero体験によって、自由になります。常に、自分自身でおれます。

しかも、社会適応ができるのです。

自由自在の生き方ができるようになるのです。

これこそ、私たちだけではなく、子供たちに必要な生き方です。

これが、現実の生活における生かされてる医学の生き方なのです。

タイトル社会適応でのNとSの分離
記事No125   [関連記事]
投稿日: 2014/04/10(Thu) 23:47
投稿者sasada
「社会適応をするために、Nで、ひたすら演じているというのが実情です。何か相手の方を騙しているような後ろめたさを感じてしまいます。相手が本当に純粋な方であれば尚更です。ここだけでも葛藤がかなりあります。」という報告をいただきました。

この方は、Sもかなりある方なので、以下のようにお答えしました。

「私も、社会適応は、結構、一生懸命にしています。

NとSが分離できてくれば、社会適応も随分違ってきます。

Nさえ、しっかり明確化できれば、Sは、義務ではありませんので、したいときに、できるときに、現実を壊さない範囲ですれば良いので、随分しやすくなります。

勿論、Fzero体験のトレーニングをしながらということは、当然ですが、Fzero体験が少しずつ進めば、Nの明確化と、Sでの対応も進んでいきます。

具体的に、何も出来なくても、笑顔で対応することは出来ます。

Nで、笑顔で対応するのは、嫌ですから、すぐに行き詰りますが、

Sで対応するのであれば、自分も楽しくなります。楽でうれしいです。

Yuの子の自分が育ちます。

社会適応であっても、Nをきちんと明確化できれば、Sでの対応も加えることができ、喜べる日になります。

タイトルN(評価と優しさが欲しい自分)は、2つの目的がある
記事No124   [関連記事]
投稿日: 2014/04/10(Thu) 18:45
投稿者sasada
Nには、2つの目的があります。

Nは、良い評価や優しさを得るために、自分を抑えて社会適応する良い子ちゃんの自分ですが、何を目的に、そのようにするのでしょう。

良い評価や優しさを得て、何が満たされるのでしょう。

何か、得することがあるのでしょうか。

そうです。欲しいものは、2つあります。

一つは、ご飯であり、もう一つは、Yuの優しさです。

ご飯の場合ですが、ご飯は、Nではなくて、E(ご飯のために、自分を押さえて社会適応しようとする自分)でした。

確かに、ご飯は、Eなのですが、ご飯を得るためにどうするかです。

私たちは、直接、ビジネスや金儲けを目指すよりも、良い子になって、良い評価をもらい、ご飯を得るというのが、普通の道です。

自分で会社を作ったり、商売をする場合も、お客さんの評価を大事にしますが、お客さんから良い評価をもらうことが目的ではありません。

良い評価をもらうために、笑顔になったり、時には、犬にもなりますが、あくまでも、利益を得るためで、利益をくれないとわかると、態度は、一変します。

もう一つのE(ご飯)を得る方法は、会社や組織に雇われることです。雇われ人として、良い評価をもらい、ご飯を得ます。

自分で会社を作ったり、商売する人は、それほど多くありませんので、大多数の人は、この方法になります。

雇われる人の場合も、ご飯のために、良い評価を得ようとしているのですが、そのことを意識している人と、あまり意識していない人がいます。

お金のことをあまり言うと、がめつい子と言われ、良い子という評価をもらえなくなりますので、親は、「良い子でいなさい。そうすれば、幸せになれます。お金のことを言ってはなりません。」と言って育てることがあります。

この場合は、良い評価をもらうことが目的となり、評価が下がると、何の不安かがわからず、ますます不安になるという悪循環が起こります。

評価がもらえないと言って、大変な不安で苦しんでいる人の原因を探っていくと、この場合であることが少なくありません。

Nのもう一つの目的は、愛や優しさの獲得です。

ここで問題なのは、欲しいのは、どのような優しさであり、誰からの優しさかということです。

それは、無条件の優しさです。そして、それは、小さいときにもらった、親の優しさです。

子供が生まれて間もなくのとき、親は、Yuの優しさで、子供を育てます。

この無条件の優しさは、格別のもので、たとえようもないほどの、安らかさと心地よさです。

しかし、次の子供が生まれたら、もうもらえなくなります。

次の子供が生まれなくても、少し大きくなると、もう、もらえません。

親も、普通の人間ですから、自分のことに戻ります。

殆どの人は、忘れてしまっていて、意識していないと思いますが、この無条件の優しさは格別なものとして、無意識の中で生き続けます。

しかも、少ししかもらえなかった無条件の優しさは、少ししかもらえなかったがゆえに、忘れられないもの、あきらめられないもの、絶対に欲しいものとして、その後の人生を縛ります。

Nは、普通は、社会のなかで、周りの人や、いろいろな人の優しさが欲しいということなのですが、根底で、本当に求めているのは、そうではないのです。

社会や普通の人には、求めても得られないものを、求めます。

自分も不完全であり、相手も不完全です。自分も欲しい欲しいの人間であり、相手も欲しい欲しいの人間です。

なのに、お互いが相手に、永遠の優しさや、無条件の優しさを求めて、恋愛や、結婚しますが、失望に終わるのは、このためです。

小さなときに親からもらった無条件の優しさは、無意識になっているとはいえ、忘れられません。

それは、大きくなれば、もう親からはもらえません。まして、普通の人間からは、もらえません。

確かに、それは、親を始め人間からはもらえませんが、絶望することも、あきらめる必要もありません。

Yuの優しさは、Fzero体験で、Yuの子になれば、Yuからもらえるからです。

Nのご飯の部分は、Nは、ご飯のためにしていると自覚し、社会適応をすれば解決できます。

簡単に、社会適応はできませんが、努力して、社会適応能力を育てていけば、解決への道筋は見えてきます。

評価が下がるから、もっと評価をもらえるようにしなければならないと、評価をもらうための努力をし、それが出来ないと、落ち込み、不安に飲み込まれ、自滅のシナリオになることは、防げます。

しかし、目的が、Yuの優しさの場合は、どんなに客観的になろうとしても、どんなに献身的になっても、どんなに社会適応能力を高めようとしても、無駄です。

多少の優しさはもらえても、それで、満ちたりるはずはありません。

もっとがんばっても、もっと努力しても、だめです。

絶望的になり、うつ状態に陥り、自滅のシナリオになるだけです。

人にも、社会にも、ないものを求めているからです。

しかし、Fzero体験で、Yuの子になれば、Yuの優しさに満たされます。

西洋文明にも、東洋文明にもありませんが、私たちには、可能なのです。

Nの縛りは、Yuに至って始めて、開放されるのです。

タイトルファースティングで、先にFzero体験ができる
記事No123   [関連記事]
投稿日: 2014/04/09(Wed) 22:45
投稿者sasada
Fzero体験をするために、丹田呼吸法の重要性は、先程、お話しました。

では、ファースティングは、どのような理由で、重要なのでしょうか。

ファースティングは、Fzero体験を、実際に体験するために重要です。

ファースティングをすると、3日目、4日目、5日目あたりで、爽やかな朝を体験できます。

何日目に体験できるのかは、個人差があります。

また、1回目から体験できる人もありますが、

何回もして、初めて体験できる人もあるというように、

個人差が非常に大きいですが、

この爽やかな朝が、Fzero体験です。

朝起きると、今日は、何だか爽やかで気持ちがいい。

少し、ウキウキする。

頭の中は、すっきりして、いろいろな雑念、妄想が無い。

性格に振り回されない。性格の自分を感じない。過去の自分を感じない。

不安や不満、傷ついた自分を感じない。

今まで、自分と呼んでいた自分を感じない。

今まで、自分と呼んでいた自分が無い。

にもかかわらず、自分を感じる。

自分が生きていることを感じる。

言葉で書けば、分かりにくいのですが、体験ですから、

体験すれば分かります。

それが、Fzero体験です。

Fzero体験って、こんなものなのだ、ということが分かります。

勿論、Fzero体験のごく一端に過ぎません。Fzero体験のごく始めに過ぎません。

また、すぐに消えてしまいます。

しかし、Fzero体験を直接、体験できることは、大変大きな出来事です。

丹田呼吸法が、どれだけ素晴らしい方法であったとしても、丹田呼吸法だけで、Fzero体験ができるようになるには、大変時間がかかります。

一度も、Fzero体験をしていない状態で、丹田呼吸法を続けていくことは、本当に、Fzero体験ができるのだろうかと不安になります。

自信を持って、丹田呼吸法を続けていけなくなります・

しかし、ファースティングで、先に、Fzero体験をしていると全く違います。

ファースティングで経験した爽やかな朝、ウキウキする自分を、丹田呼吸法で、再現できれば良いのです。

再現し、維持し、育てていけばよいのです。日常生活の中で、育てていけばよいのです。

また、ファースティングを繰り返すことにより、Fzero体験の積み重ねをしていけます。

ファースティングと丹田呼吸法を、このように使うことにより、揺るぎのないFzero体験が育ちます。

ファースティングと丹田呼吸法を持つことができたことは、かぎりない希望です。喜びです。

タイトル丹田呼吸法なくして、Fzero体験はありません
記事No122   [関連記事]
投稿日: 2014/04/09(Wed) 21:07
投稿者sasada
ISCの会員の皆さんは、日々、必ず、丹田呼吸法をしてください。

丹田呼吸法は、Fzero体験をするために、絶対的に必要な方法です。

丹田呼吸法なくして、Fzero体験は、あり得ません。

ファースティングは、勿論、必要ですが、いつもファースティングは、できません。

今、この瞬間に、Fzero体験ができなくてはなりません。

この瞬間、この瞬間、この瞬間を、Fzero体験にしていきます。

ただ、丹田呼吸法は、常に、練習していなければ、この瞬間に間に合いません。

大変時間と、集中と、鍛錬が必要です。

ですから、毎日、練習をし続けてください。

DVD講座の中の、日々の実習を見ながら続けてください。

「丹田呼吸法なんか嫌だ。できない。したくない。」という人は、Fzero体験をあきらめてください。

Yuの世界を知ることも、Yuの子として生きることもあきらめてください。

このように言うと、非常に厳しいことを言っているように感じられるかもしれません。

しかし、それは、間違っています。

丹田呼吸法がなければ、どうして、Fzero体験をするのでしょうか。

Fzero体験ができなければ、新型ストレスを解決することはできません。

自分を生きることはできません。自分の山に登ることもできません。

それを考えれば、丹田呼吸法は、実にありがたい方法です。

西洋文明には無い方法です。

丹田呼吸法を持つことができたことに、喜びと感動を感じます。

自由自在の生き方を可能にするものです。

よろこんで、丹田呼吸法をしましょう。

タイトルFトレが不十分だと何が起こるのか
記事No121   [関連記事]
投稿日: 2014/04/09(Wed) 09:08
投稿者sasada
Fトレーニングを強調しています。

ISCの会員の皆さんは、Fを選んで入会されていますので、その必要はないはずです、

早く、Yuトレーニングにだけに集中していけば良いのではないかと思われるでしょう。

そのとおりです。

しかし、もし、Fトレーニングが不十分だと何が起こるのかということです。

Fトレーニングが不十分だと何が起こるのか?

お答えください。