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タイトルFとKとの葛藤 ー フック
記事No97
投稿日: 2014/03/27(Thu) 00:48
投稿者sasada
F(自由に生き生きと生きたい自分)と、K(人に自分の存在価値を認めさせようとする自分)を、混同している方が、結構多いように思います。

FもKも、相手を倒そうとすることがあるからです。

しかし、目的は、全く違います。

Fは、自由を得るためです。

Kは、自分の存在価値を認めさせたいからです。

Fは、自分を縛っているものを、跳ね除けたいのです。跳ね除けられて、自由になれれば、相手のことは、もう、どうでも良いのです。

Kは、相手を倒すだけでは駄目です。自分が、相手より優位であることを認めさせなくてはなりません。

今まで、自分の存在を認めなかった相手に、自分の存在を思い知らさなければなりません。

時には、倒した相手の苦痛の顔を見なければ、気がすまないのです。

このように、FとKは、違うものです。

Kは、自分の存在価値を認めさせたいのですから、人を必要とします。社会を必要とします。

自分のプライドを満たすために、人を必要とするのです。それでなければ、自分の存在価値を感じることが出来ないのです。

それに対して、Fは、人を必要とはしません。人の上に建たなければ、自分の存在価値を感じられないというようなことはありません。

Fにとって、自分の存在価値を感じるのは、自分が自分でおれるときです。自由に生きれるときです。

Fにとって、社会は、自分を拘束するものです。わずららしいものです。

このFとKが、両方あり、葛藤する人がいます。

FとKとの葛藤、フックです。

自由でありたいFと、人に自分の存在価値を認めさせたいKとの葛藤です。

共に、「自分を生きたい自分」の葛藤なので、本来の新型ストレスからは、外れますが、自我に目覚めた人間独特の姿です。

また、この葛藤の理解は、FとKの違いを明確に理解できますので、大変重要です。

FとKを混同し、すべてKだと思っている人が、結構多いからです。

すべてKだと思ってしまえば、Fを消去することになります。

Fが消えれば、Fの選択はできません。

Fzero体験へと進み、Yuの子となる道が、閉ざされてしまいます。

これは、絶望になります。生きる希望を失います。

それだけに、FとKの違いをはっきりと知っておく必要があるのです。