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タイトルFとSの葛藤 ー フッシー
記事No96
投稿日: 2014/03/26(Wed) 21:39
投稿者sasada
F(自由に生き生きと生きたい自分)と、S(人の笑顔が見たい自分)の葛藤、フッシーについてお話します。

フッシーは、極めて、苦しいものです。

Fと言っても、Fzero体験をしていないFは、単なるわがままな自分に過ぎません。

自分のことしか考えられない自分、自分勝手な自分です。

こんな自分勝手な自分のために、S(人の笑顔が見たい自分)を捨てることは、非人間になることです。

心が痛みます、心が切り裂かれそうになります。

大事な人を捨てて、Fを選択することなど、到底出来ません。

Sを捨てるくらいなら、Fを捨てます。

そう、それが、Yuの子である人間の姿です。

Yuの子になれるのは、そういう人でしょう。

逆に、Sを捨て、Fを選択するような人は、到底、Yuの子にはなれません。

そう、そのとおりだと思います。

Fの選択を、入会の条件にしているISCは、Yuに至る路にはなれません。

確かに、そうなのですが、それでも、Fの選択なのです。苦渋の選択なのです。

なぜかと言うと、第一には、FとSの葛藤のままでは、両方とも失うことになるからです。

延々と葛藤を繰り返し、エネルギーを消失し、何もできない状態におちていくからです。

第二に、Fを選択し、Fzero体験をして、Yuの子になれば、Sはいくらでもできるからです。

動機も行動も、すべてYuの優しさになります。

しかし、先に、Sを選択すれば、Fは残ります。

自我に目覚めた現代人は、どんなになっても、Fを捨てることは出来ません。

Fを捨てて、Sを選択しても、Fを捨てきることはできません。Fは残ります。

疑わしいと思われる方は、一度、やって見てください。

Sを選択して、Fを完全に捨て去ることが出来るかどうか。

それをすれば、自分が自分ではなくなると感じるでしょう。

一時的に、Fを捨てることが出来ても、生涯ずっとFを捨てて生きることはできません。

Fを捨てるといっても、Fは残ってしまいます。

そうすれば、Sの選択によって、Fを押さえられても、残ったFは、やがて窒息し、耐え難くなって、すべてを壊したくなります。

結局、SもFも共に失うことになります。

このように、Sから、Szero体験をして、Yuの子になることはできません。

何度も言いますが、それでは、わがままなままのFが残るからです。

Yuを学びましょう。

そして、Fzero体験で、Yuの子になれば、いくらでも、Sができることを知りましょう。

そうすれば、FとSの葛藤を脱するために、Fを選択でき、Fzero体験でYuの子になれます。

Sがあるために苦しんだあなたは、Yuの要素が多かった人です。

Sは、そのままでは、さまざまなものに汚染された優しさで、葛藤のなかにあり、エネルギーを失っていますが、Yuの原石です。

Fの選択が出来れば、Fzero体験によって、本物のYuの優しさになるでしょう。