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タイトル結婚=幸せ???
記事No29
投稿日: 2014/01/20(Mon) 23:48
投稿者sasada
  結婚式で、「幸せになります」、「お幸せに」という言葉がルンルン気分の会場の中で交わされています。普段でも「結婚=幸せ」は当然のように言われています。

  しかし、離婚の数の多さは何なんでしょうか。日本も日常茶飯事になってきました。2011年は66万組が結婚し23万6千組が離婚しています。約30%です。アメリカでは離婚率が50%を越えているそうです。実際に離婚まで行ってはいないけれど離婚したいという気持ちの人はどれだけの数になるのでしょうか。

 それは、前提が間違っているのではないでしょうか。人間関係が悪化する条件が二つあります。一つは、人間が接近すること。もう一つは逃げられないことです。接近しなければ人間関係は発生しません。離れていれば、みんな良い人です。また、人間関係が悪化しても逃げられさえすれば問題は起こりません。

  結婚とは人間が最も接近することであり、結婚してしまえば簡単には逃げられません。さらに子供ができれば責任と愛情が加わるのでとても逃げられません。ということで、アラスカの恋人は永遠の恋人かもしれませんが、結婚は最も悲惨な人間関係に終わってもおかしくないのです。

 しかし、これは現代が豊かな時代になったから起こる現象です。貧しい時代において結婚は確かに「幸せ」でありました。貧しい時代の第一の目的は餓死しないことです。衣食住と安全です。そして、貧しい時代の結婚は衣食住と安全の保証だったでしょう。

  過去の時代は生活費を稼ぐのは殆ど男性に独占されていましたから、職を持たない女性は結婚しなければ、生きていくことも困難です。男性も、結婚していないと変わり者として扱われ村八分にされかねません。貧しい時代の結婚は、個人が生きていく上でも、また社会の確固とした生産性を維持する上でも最も重要な仕組みでした。恋愛のエネルギーは食欲に次いで、時には食欲以上に強いものですから、これを自由に放置すれば社会の秩序が破壊されると支配者は不安を感じたでしょう。貧しい時代はそれだけに重要なもの、「掟」として扱われてきました。

  現代において結婚することの意味は何でしょうか。勿論、結婚したい人はすれば良いことで、余計なお節介を言うつもりは毛頭ありません。ただ、よく内容を見ないと、現代では、「結婚=幸せ」とはいきませんということです。

  特に、結婚したくないのに親や周囲の圧力で「しかたなくしよう」と思っている方はよく考えてみる必要があります。過去の時代の幸せの中身は衣食住と安全だったからです。

  特に女性にとって問題は大変難しくなってきました。相手となる男性の欠乏です。貧しい時代は、男性が職業を独占していましたから、男性ということだけで力強い価値ある存在であり得ました。しかし、現代において女性も衣食住を得ることはさほど困難ではなくなりました。まだ完全にとまではいきませんが、職業選択の自由を得ました。衣食住と安全のために結婚することの価値は薄れました。

  このような時代になって、男性は自分自身の価値で勝負しなければならなくなりました。しかも現代は価値観の崩壊の時代です。過去の価値観にしがみついて仕事だけしている男性は情けない存在であっても、けっして魅力的ではあり得ないでしょうし、仕事にもしがみつけない男性は、ただ漫然と生きているだけの存在です。衣食住を手にした女性の目にどれだけの男性が耐えられるのでしょうか。

  しかも、現代でも結婚してしまえば、毎日熱の冷めた相手と顔を突き合わして生きなければならないストレスに変わりありません。さらに本人たちだけではありません。親や親戚など、古い時代を生きた人々と生活圏を共有しなければなりません。古い時代の縛りはまだまだ生きています。嫁姑問題が深刻になるのは当然でょう。

  衣食住のためという大義名分が無くなった今、我慢する理由はなんでしょう。日本は村八分という集団無意識の国です。変わったことをすれば排除されるという不安が我慢する最後の砦でしょうか。しかし、離婚率30%ではもはや集団無意識も踏みとどまるのに役立っているとは言えません。

 残るのは子供でしょうか。未婚の母が当然のことのように堂々と生きられるヨーロッパの国々を考えると、それも説得力が薄れます。孤独でしょうか。しかし、「自分の山」を登らないかぎり、どんな状態であっても孤独です。

  現代において、結婚は「しなくてはならないもの」ではなく、「したかったらしても良い」ものでしょう。ただ、「結婚=幸せ」ではなく、「自分の山」を登らないかぎり、どちらにしても、お互いが、依存と攻撃で自滅します。何よりもまず、「自分の山」を登ることを始めることではないですか。生かされてる医学のトレーニング(Fzero体験)で、本当の自分を生きたいという人間本来の願いを生きることができれば、後のことはすべてあなたの自由です。