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タイトル社会適応が意味する中身は、EやNとKでは全く異なる
記事No116
投稿日: 2014/04/05(Sat) 10:45
投稿者sasada
社会適応は、重要です。

人間以外の動植物は、本能により、衣食住と身の安全を完璧に得ています。

しかし、私たち人間のみは、本能から自由になったために、衣食住と身の安全を得るためには、社会を営み、各人は、社会適応しなければなりません。

社会適応は、絶対に必要なものです。

しかし、社会適応という言葉は同じでも、EやNの人と、Kの人とでは、その方法は全く異なります。

EやNの人にとって、社会適応というのは、まず第一には、人に対して、笑顔で優しく対応することです。

そして、仕事は、相手の人の望むことをすることです。

このやり方が良いのかどうかは、相手の人が気に入るかどうかですから、相手の人の判断が基準になります。

ここでも、性格の基本が、「普通さん」か「バラバラさん」かで考えると、よりよく分かります。

EやNの人でも、社会適応は、Fを押さえることですから、嫌なこと、辛いことなのですが、性格の基礎が、「普通さん」では、それほど嫌なことではありません。

「普通さん」にとって、人は、すべて良い人です。味方であり、好意的な人です。

相手の人は、良い人であり、自分に好意的な人であると感じているのですから、その人から良い評価と優しさをもらうために、社会適応することは、あまり苦痛ではなく、むしろ、うれしいことと感じることも多いはずです。

ただ、基本が、「バラバラさん」の場合は、人は敵ですから、無理をして、相手の人に合わしているので、ある程度の社会適応はできるのですが、徐々に苦痛と疲労が増して辛くなってくるでしょう。

一方、Kの人の場合の社会適応です。Kの人の社会適応は、自分は社会適応だと思っているのですが、それは、到底、社会適応というものではありません。

Kの人にとって、社会適応とは、笑顔や優しく接することは無意味であり、大事なのは仕事ができることです。

Kは、自分の存在価値を認めさせたいのですから、常に、相手より、上でなければなりません。

上から目線の笑顔や優しさは、時にはあっても、あくまでも、自分は上です。

評価や優しさをもらうための笑顔や優しさは、相手より下になることで、負けることになりますから、そのような態度はとれません。

仕事も、自分が判断の基準です。

相手より上に行くためには、これをここまではしなければならないという判断です。

客観的に見ると、そこまではする必要がないと思われることでも、判断基準が自分にあり、自分の優位を示すことが目的ですから、どんどん威圧的に進めていきます。

成功できている間は、実力によって、社会から、衣食住と身の安全を得ることは出来ますが、成功し続けることは出来ません。

成功できなくなると、自信喪失と不安がきて、KKとなります。

自信過剰や自意識過剰と、反転して、自信喪失と不安は、KKの特徴です、

KKでは、基礎の性格が、「バラバラさん」の場合は、特に苦しくなります。

「バラバラさん」にとって、人は皆、敵です。

そのため、プライドを守るために、「クールさん」になるかもしれません。

さらに、状況が悪くなると、相手の人が怖くなり、穏やかな対応を取るようになるかもしれません。

しかし、内心では、相手の人は敵ですから、引きつった穏やかさです。

到底、社会適応は、できません。

このように、社会適応という言葉は同じでも、人によって、非常に違ったものになるので、社会適応ということを考えるときには、判断の基準が、相手の人にあるのか、自分にあるのかを考えて見ましょう。

KもKKの状態になれば自信がなくなり、一見、EやNのようになり、笑顔や優しさで対応することもあります。

本人も、EやNだと思っていることも少なくないのですが、判断基準が、相手か自分かで見ればわかります。

判断基準が、相手の人にある場合は、EやNですが、自分にある場合は、Kです。

このことを押さえた上で、次のことを考えましょう。

この分析は、正しい社会適応かどうかということとは別のことです。

人間の社会は、正しい状態ではありません。

今なお、支配する者と、支配される者の社会ですし、格差や不平等が当然のように存在しています。ついには、人間は、新型ストレスと核の文明を作ってしまいました。

正しい社会とは、Yuの社会です。

私たちは、Yuの社会を作らなければなりませんと言うより、Yuの社会を作れなければ、人類は滅亡するでしょう。

Yuの歴史観で見れば、EやNも、KやKKも、人間の未熟な社会が生み出した現象です。