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タイトル犠牲になるFだから、Fzero体験ができる
記事No114
投稿日: 2014/04/04(Fri) 11:50
投稿者sasada
「社会適応ができている方は、しっかりと社会適応をしましょう。それが、生かされてる医学の鉄則、現実は変えないということです。」というお話をしました。

「Fzeroにたどり着くまでの間、社会適応で犠牲になるFはどのようにケアすればいいのでしょうか? すべてを壊す方向に行かないか懸念しています。」という質問をいただきました。

2つの点を理解してください。

第一は、社会適応をしていくときに、Fを、より強く実感できるということです。

楽な生活の時には、何が嫌で、何が本心かを明確にできません。自分分析が、できません。

嫌なこと、苦しいことがあるために、なぜ、自分はそれをしようとするのか、何のために我慢しているのか、本当は何がしたいのか、そういうことを明らかにできます。

自分の本心を明らかにするということは、何よりも大事なことなのですが、容易にできることではありません。

自分の本心の明確化の絶好の機会です。

第二点目は、窒息を感じているFはどうしたら良いかです。

窒息を感じているFのすることは、唯一つ、Fzero体験です。

Fzero体験ができるようになるまで、なんとかしてFをなだめておくということではありません。

社会適応をすると、Fは窒息します。

だから、新型ストレスになって、自滅のシナリオへと進んでいくのです。

しかし、生かされてる医学には、Fzero体験があります。

Fzero体験は、いつでも、どこでも、できます。

仕事をしていようが、昼食を取っていようが、通勤していようが、いつでも、どこでも、自分さえおればできるというのが、特徴です。

自分の本心がFであれば、誠に、幸いです。

Fならば、Fzero体験ができるからです。

自分の本心が、E、D、N、K、Sだったら、これは大変です。

社会適応は、EとNです。

Dと、Kと、Sは満たされません。

新型ストレスになり、社会適応もできなくなります。

何よりも、Eを取っても、Dを取っても、Nを取っても、Kを取っても、Sを取っても、心の奥底には、Fが残ります。

自我に目覚めた現代人である私たちは、完全に、Fを捨て去ることはできないからです。

ここでもと言うよりも、ここでこそ、新型ストレスが起こり、自滅のシナリオになります。

いずれにせよ、我慢して、社会適応をしていても、E、D、N、K、Sには、希望がありません。

死ぬまで、このまま、我慢だけの人生が続きます。

これは、つらいです。希望がないことが、一番つらいことです。

しかし、本心がFなら、Fzero体験があります。

窒息しそうになるFなら、Fzero体験ができます。

Fは、希望を感じます。

社会適応をして、窒息しそうになるFだから、追い詰められるFだから、壊しそうになるFだから、Fzero体験ができるのです。

絶望が、希望にかわるのです。

真っ暗な夜に、一筋の朝日が差し込むのです。