生かされてる医学のカウンセリング(性格分析3)
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タイトル 春奈ちゃん殺害事件の原因はF
投稿日: 2011/05/07(Sat) 10:12
投稿者sasada

 もう随分昔のことで覚えておられないかもしれませんが、東京文京区の保育園に通う春奈ちゃんを、同じ保育園に通う子供の母親が殺害したという無惨な事件が起こりました。遺体が発見されたというテレビの速報を見て、私は思わず吐き気を催しました。

 容疑者の性格は、テレビでちらっと顔写真を見ただけですから正確にはわかりませんが、「バラバラさん」を基礎に持つ「伝統さん」でしょう。

 自分を、家の名誉や子供の将来と一体化し、それに全力投球することにすることによって、Eを抹殺しょうとしているタイプだと思います。それだけに、なんとしても、家や子供が立派でなければなりません。それが、崩れることは、押さえ否定してきたEが復活してきてパニックになるでしょう。

 しかし、では殺人は性格が引き起こしたものでしょうか。いえ、それは違います。殺人を起こしたものは、「我」です。性格だけであるならば、悩み苦しむでしょうが、殺人まではいきません。

 殺人は、相手の存在の否定です。抹殺です。それまでしなければならないのは、自分の存在が否定された、抹殺されたと感じたからです。つまり、自分のFが抹殺されたと感じたことによります。

 プライドを傷つけられ、自分の存在まで馬鹿にされた。「我」の悔しさ、「我」の怒り、「我」の憎悪が、A(きびしい親)と結びつき、相手の分身である子供の殺害に至らしめたものでしょう。

 F(本当の自分を生きたい自分)は良いもの、素晴らしいものですが、Yuに至らないFは単なる「我」です。「我が強い」ということでしかありません。

 強い我は、最悪の結果を引き起こすものです。EやDなら、アメとむちでコントロール可能です。破滅的な行動はとりません。しかし、「我」にはアメもむちも無効です。

 傷つくのは、Fが「我」になっているからです。本能から目覚めた自我は、Yuとの繋がりが切断されます。恐怖と不安と不満のなかで存在の否定体験を受けて、自分のことしか考えられない自分になります。「我」の発生です。

「我」がない限り、プライドや自分の存在の否定などの問題は起こりません。

 「我」は、世間の評価も欲しい、つまり「他人の山」も登りたい、しかし自分も生きたいという「どっちも欲しいさん」です。まさに「混迷」の状態です。

 この状態では、「我」は激しく傷つきます。些細なことでも、自分の存在が否定されたと感じます。そして、「我」の悲しいまでの怒りが爆発し、相手も自分も破壊してしまいます。悲しい「我」の末路です。

 勿論、殺人は、まれなことです。普通には起こりません。それを誰にでも当てはまるかのように論ずることは危険です。実際の行動を起こす人は、本当にまれです。しかし、「我」がなければ起こらなかったことです。「我」が原因であることは間違いないことでしょう。

 Yuに至らないF、つまり、自分の中に「ふとした優しさ」を発見できないFは、単なる「我」であり、最悪の「我」になる可能性をもっています。Yuなくしては、Fに救いはないのです。Yuに出会うことなくしては、Fは「我」から自由になれないのです。


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