生かされてる医学のカウンセリング(性格分析3)
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タイトル 幼児虐待の背景とは
投稿日: 2011/05/05(Thu) 22:33
投稿者sasada

  現代は、組織の時代から、個人の時代への過渡期です。

  個人の時代と言えば、いかにも聞こえがよいのですが、Yu(ユー)なき個人は「我」に過ぎません。ですから、現代は、組織の時代から、「我」の時代への移行期です。

  「我」の時代は、「我」と「我」がぶつかり合い、自滅していきます。「我」の時代のままでは、人類は21世紀で滅亡するでしょう。その恐ろしい現象の始まりが、各所で見られます。

  幼児の虐待や殺人も、その恐ろしい現象の一つでしょう。あってはならないことが起こっています。

  組織の時代では、子供は存在価値がありました。大きくなれば親を助けてくれる労働力です。家系を嗣いでくれる大切な存在であり、老後には、面倒を見てくれるかけがえのない存在でした。

  愛があろうと無かろうと、目先の利益はありました。目先の利益で子供を育てるのは不純だ言われるかもしれませんが、目先の利益も役立つことは確かです。精神的に追い込まれたときに、自己説得ができました。

  また、大家族ですから、忙しいときは、誰かが子供の面倒をみてくれました。24時間密着で世話をするというようなことは避けられました。

  しかし、個人の時代になりました。子供は大きくなれば、すぐに家を出ていくでしょう。家系を嗣ぐといっても、家という観念も実体もありません。老後の世話も子供には期待できません。親は、子供に尽くすだけで見返りはなくなりました。

  子供を育てるエネルギーは、純粋な愛だけになりました。純粋な愛、これは大変なことです。Yu(ユー)なき「我」の時代の人間にとって、純粋な愛はすぐに品切れです。まして、自分の親との同居を拒否した以上、24時間密着状態です。

  組織の時代には、子育てに社会の規範がありました。窮屈でしたが、それに従っていれば、問題は起こりません。

  しかし、個人の時代では、規範やルールはありません。自由ですが、どう育てれば良いかわかりません。24時間密着状態で、ルールなき子育てをしなければなりません。

  一方、個人の時代に生まれた以上、もっと自分を生きたいと思います。子育てだけに、自分の時間の全てを奪われることは、とうてい納得できません。自己抹殺と感じます。

  このような状態になれば、不安と不満とイライラが来るのは当然でしょう。不安と不満とイライラが蓄積されて、極限に達すれば、最悪の場合は、幼児に対する暴力や殺人が起こることになるでしょう。

  勿論、最悪の場合は、全体から見ればごく稀な事件です。しかし、精神状態から見れば、多かれ少なかれ似たような状態に追いつめられている方は少なくないでしょう。

  仕事を持っていて家にいつもいない方の場合は、本人は楽でしょう。しかし、長時間保育に預けられる子供の方は、愛の欠乏が起こります。愛の欠乏は、決定的な存在の否定体験となり、将来、その後遺症に、本人も周りの人も苦しめられることになるでしょう。

  これらは、「我」の時代の現象です。組織の時代から、やっと個人の時代になり始めたばかりなのに、Yu(ユー)なき個人の時代は、「我」の時代となり、早くも崩壊現象を現し始めています。そして、これからも、どんどん拡大して行くでしょう。

  解決のためには、自分に対しては「本当の自分」を生きること、子供に対しては純粋な愛と優しさが必要ですが、それは、Yu(ユー)を感じ、Yu(ユー)と一体化することによってのみ可能です。

  「我」の時代の回避は、ひとえに、Yu(ユー)にかかっているのです。


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