生かされてる医学のカウンセリング(性格分析3)
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タイトル 臨死体験は、死後の世界ではありません
投稿日: 2011/05/05(Thu) 07:01
投稿者sasada

 臨死体験とは、何でしょうか。死後の世界が分かるのではないかということで、体験者の話が何冊もの本に書かれたりしています。

 しかし、臨死体験は死後の世界ではありません。一時的に心臓が停止し、死んでいく過程ではあっても、生きて戻っています。完全に死んで灰になってから戻って来た人の話なら、確かに死後の世界でしょう。しかし、そんな人は一人もいないのです。

 臨死体験で見た世界は、過去の記憶です。私たちの過去は脳の中にすべて記憶されていると言われています。大人になって、小学校の同級生と会うと、当時のことが思い出されます。普段は、完全に忘れているのですが、何かのきっかけがあると思い出すのです。

 お年寄りが、成人式のことや結婚式のことを、その時着た着物や出来事を昨日のことのように話されるのは日常よく経験することです。

 記憶は、日常生活で良く使うものは、いつでも取り出せるようにはっきりとした意識のなかに置かれます。使わないものは倉庫の奥の方に置かれるように無意識のなかに追いやられます。毎日忙しく暮らしている人は、これからすべきこと、明日しなければならないことが多く、そのことに意識が集中しています。毎日の生活に便利な記憶だけで一杯です。

 しかし、旅に出たり、同級会に参加するときは、日常で使う記憶が必要でなくなるので、過去が出てきます。

さらに、高いビルから誤って落ちて、奇跡的に助かった人の話では、映画のフイルムを逆回転させたように、とてつもない高速で過去が蘇り流れて行くそうです。このときは、死ぬというパニック状態ですから、日常は完全に消滅します。明日しなければならないということで目的意識が集中しなければならないものはなにもありません。目的意識はただ呆然となります。過去の倉庫からは、一斉に過去が吹き出します。

臨死体験とは、これと同じようなものだと思います。日常が消滅しますので、過去が全部出て来ます。小さいころの思い出が出て来ます。だから、もう亡くなったお父さんやお母さん、お祖父さんやお祖母さん、親戚の人がでてきるのです。

 そして、「こっちへ来なさい。こっちへ来なさい」と手招きして呼んでいるのです。しかし、これは、現実ではありません。過去の自分の記憶が再現されているのです。小さい時には、手招きしていつも呼ばれたでしょう。「〜ちゃん、早くこっちへ来なさい。こっち、こっち」と。臨死体験の手招きは、あの世へ行ったわけではないのです。

 実際の臨死体験の時には、もっと多くの過去を見ているはずですが、今も生きている人との思い出よりも、もう死んで会えなくなっている人、しかも最も愛着ある親や祖父母に会えたということは、極めて印象的です。生き返った後も、心に残るでしょう。

 それで、「死後の世界へ行って会って来た」と、何度も何度も周りの人に語ることになるでしょう。しかも、自分と同じようなことを経験した人が何人かいるのですから、ますますこの経験は普遍性を獲得することになります。しかし、臨死体験はあくまでも自分の過去の記憶なのです。

 死によって、脳細胞は消滅します。記憶を貯めていた脳細胞が死滅するのですから、この世の記憶も消滅します。前世のことは、記憶にないのは当然ですし、来生においても、今回の生の思い出ではありません。

 これは、Yu(ユー)の親切でしょう。記憶を持ったまま、次の生へ行くのであれば、「平安時代の親の仇討ちを平成で!」ということになり、新しい生を生きることはできません。

 過去を生きることが大事なことではなくて、「本当の自分」を生きることが大事なのです。そのために、何度も何度も、人生を繰り返しながらトレーニングしているのでしょうから、過去に埋もれてしまわないように、過去をリセットしてくれることは、Yu(ユー)の思いやりなのだと思います。


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