タイトル | : カウンセリングは、「当てはめ」です |
投稿日 | : 2012/03/16(Fri) 10:27 |
投稿者 | : sasada |
私の心身医学のカウンセリングは、「当てはめ」です。
今の心の動機が、何なのか、Eか、Nか、Dか、F、Kか、Yuか、を当てはめます。
なぜ、このような方法を使うようになったのかは、私の講義を読んでいただいている方には、お分かりいただけると思います。
Kで苦しんでいる人がいます。Kは、自分の存在価値を、人に認めさそうとする自分です。プライドの自分です。傲慢な自分です。
Kの要求は、「わたしは、あなたより偉いのだ。あなたは、私より、下なのだ。」、それを認めろということです。
相手の方は、腹が立ちます。
本当にそれだけの力があるのであれば、相手の方も、仕方がないので認めるでしょうが、上には上があります。常に戦っていなければなりません。
相手の方には嫌われ、自分は、常に価値ある人間であることを証明し続けなければなりません。
しかも、人間は、年老い、病気にもなり、最後は、死ななくてはなりません。
Kの方の欲求を満たすことは、不可能です。自滅のシナリオです。解決はありません。
臨床医としての私の視点は明確です。どうすれば、治療できるかだけです。
Kは、治療できません。
しかし、当てはめをして、殆どKだけども、Yuの自分もいる。ごくごくわずかなYuの自分だけれども、やはり、Yuの自分はいる。
Kは、大好きだ。絶対、Kを満たした。ただ、Yuも捨てがたい。
何度も何度も、当てはめを繰り返していると、Yuが捨てがたくなってくる。だんだん、Yuも良いな〜と思えてくる。
そう言えば、ごくごく幼い頃、お父さんやお母さんに感じたものに、これは似ているかもしれない。
あのとき、ふと感じた幸せに似ている。
忘れていたものだった。無意味なものだと思っていたものだった。
Kを満たすことが幸せだと思ってきた。確かに、ある程度、Kを満たせた。満足だ。
しかし、何か違うかもしれない。何か、索漠としたものも感じる。
それに対して、このYuの感じはどうだろう。優しくて、温かい。揺りかごのような、この感じは何なのだろう。
この感じは、もう長い間、味わったことがない。
もし、もう一度、味わえるのなら、そうしたい。
幼い頃は、帰らないし、その時の、お父さん、お母さんも、もういない。
でも、もう一度味わえるのなら、そうしたい。
何だか、目がうるうるしてきた。心がジーンとしてきた。
これが、Yuなのか。
これがYuなら、私の中にあったものなのだ。経験したことがあったものなのだ。
それを、ずうーと経験できるというのか。それを、生きていけるというのか。
Kを捨てる必要はないと言うのか。Kは、そのままにしておいて良いと言うのか。Kをそのまま続行しても良いと言うのか。
ただ、自分の心を当てはめて、Yuの自分がいることだけを確認し続ければ良いと言うのか。
それならば、できるかもしれない。
それならば、楽しいかもしれない。
ちょっと、楽しい、ちょっとうきうきしてきた。
何よりも、あの優しさと温かさを感じ続けられるのなら、それは、嬉しい。
現実を変えなくて良いのなら、やってみたい。
えっ、これが、すでにやっているということなのか。Yuの自分を、育てているということなのか。
もう、すでに、私は、Yuの自分を育て始めているというのか。なんということだ。これが、当てはめという方法なのか。
そうです。これが、当てはめという方法なのです。
だから、私のしていることは、普通で言うところのカウンセリングではないのです。