タイトル | : Yuの自分が明確になれば、優しい社会は実現します |
投稿日 | : 2012/03/12(Mon) 23:06 |
投稿者 | : sasada |
世界中の人は、自由で平等で優しい社会を願っています。
しかし、あるのは、比較と競争の社会です。なぜ、でしょう。
なぜ、皆が望んでいることなのに、実現できないのでしょうか。
今や、殆どの国は、民主主義の国になりました。人間の歴史では、ついこの間までは、武力による独裁の時代でした。自由にものを言うこともできませんでした。
それを思えば、現在は、皆に、投票権があるのですから、皆の願いは、実現するはずです。なのにどうして、できないのでしょうか。
それは、私たちの社会が、比較と競争の社会だからです。
そして、私たちの心の中に、Yuもありますが、自分のことしか考えられない自分がいるからです。
私たちは、本能から目覚めました。衣食住と身の安全を、自分の手で得なければ、生きていけません。社会がなければ生きていけません。
たとえ、どんな社会であっとしても、その社会に順応し、適応しなければ、餓死します。
現在の社会が、比較と競争の社会である以上、競争しなければ、自分を守れません。
社会の中で、価値のある人間にならなければ、社会から外されてしまいます。それは、孤立と孤独と、死の恐怖です。自分を守るために、家族を守るために、戦わざるを得ません。
不本意であったとしても、自分のことしか考えられない自分にならざるを得ないのです。
優しさだけでは、社会の餌食になってしまいます。優しさだけでは、生きていけないのです。親は、しっかり生きることを子供に教えざるを得ません。
生き生きとした自由で優しい社会は夢物語であって、現実の生活には、無関係なもの、役に立たないものになりました。
自分のことしか考えられない自分が圧倒的で、その前では、Yuの自分など、かすかなもの、ふとしたもの、役に立たないものとして、忘れられ、捨てられています。
本当に不要のものであるのなら、それはそれで良いでしょう。
本当に、それが本心であるのなら、それで良いでしょう。
私は、人間の幸せは、本心を生きれることだと思います。どのような自分であっても、それが、本心であれば、死ぬときに、悔いを残さなくて良いでしょう。
亡くなる方に立ち会うのはつらいことです。病気が良くなることを期待して病院へ来られているのに、救えないということは、臨床医としては、本当につらいことです。
その上に、人生の悔いを残されるのを見ることは、耐え難いことです。それが、私の健康医学へ進んだ原点です。
それだけに、本心を生きたいし、生きていただきたいと思のです。
もし、「やはり、私は、優しい社会が良い。子供たちには、生き生きとした優しい社会を生きて欲しい。」、と思うなら、実現しなければ、人生の意味は無くなります。
ただ、現実を変えようということではありません。私の心身医学の鉄則は、現実は変えないことです。
現実は、変えないで、自分の本心を明確にするだけです。もし、本心が、Yuの自分であるのなら、現実は結果として変わっていきます。
世界中の人が、優しい社会を願っているのに実現できないのは、比較と競争の社会が強固だということもありますが、それ以上に、自分の本心が明確になっていないからです。
本心が、Yuの自分で、それが、明確になれば、結果として、優しい社会は実現します。