生かされてる医学のカウンセリング(性格分析3)
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タイトル 東北地方太平洋沖地震から1年ー優しい社会を作りたい
投稿日: 2012/03/11(Sun) 17:34
投稿者sasada

一年前の今日は、東北地方太平洋沖地震が起こった日です。

最初は、「また、地震か。」、ぐらいの感じでいました。そのうち、阪神淡路大震災よりも、震度が大きいので、これは大変なことだと思いました。

しかし、津波は経験したことがないので、その後の大惨事には全く思いもよりませんでした。

さらに、福島の原発事故は、信じられないようなおぞましい事件でした。

人間は、経験したことしか考えられません。自分の中にあるものしか、見えません。

それだけに、事実が大事です。伝えられている過去の事実や、他の国での出来事を調査、研究して、客観的に判断しなければなりません。

しかし、原発事故は、「私たちの生命を脅かすことですら、公開されていない。」ことを明らかにしました。

もし、私たちに主権があるのなら、私たちが、すべてを知り、私たちが決定しているはずです。

私たちは、皆、自由な社会に住んでいると思っています。

しかし、自分の生命に関わること、特に、子供たちの将来に関わる重要なことを、決める権限どころか、知ることもできない状態だということを知らされました。私たちは、主権ではないのです。

人間の社会は、今なお、極めて未熟で、不完全です。一部の支配する人間と、大部分の支配される人間に分かれています。

動物以下、最低の種族の状態が続いています。

社会が、比較と競争によって動いていることは、支配する側にとって、とっても都合が良いことです。というより、人を支配するための方法として、比較と競争という方法を用いることは、古来より、常套手段でした。

支配する側の人は、比較と競争の社会を改めるどころか、維持することに精力を注いでいるでしょう。できれば、強化したいと願っているでしょう。

私たちは、その社会にくっ付いて、良い評価をもらうことに、日夜あくせくしているのですから、悩みや苦しみが尽きないのは、仕方がないことでしょう。

悲しいのは、選択肢がないことです。生きていくためには、衣食住と身の安全が必要です。

物質的に豊かな社会になったと言っても、遊んで暮らせることはありません。やはり、衣食住と身の安全を得るために、働かなくてはなりません。

そして、この社会しか、働く場がないのですから、この社会がどんな社会だとしても、くっ付く以外に選択肢がありません。

たとえ、生命に関わる重要なことを知らされることがなくても、皆が望んでいる願いが、切り捨てられようとも、最低の種族の状態だとしても、この社会しかないのですから仕方がありません。

こうして、私たちは、希望を失い、無感動化していきます。この影響は、年齢が若い層ほど強く作用していくでしょう。

しかし、不思議なことがあります。

阪神淡路大震災が起きた直後、人々は、優しくなりました。自分や自分の家族も困っているのに、水や食べ物がない人には、分けてあげたり、手助けしたり、誰から強制されるわけでもなく、自然と、優しくなりました。

これは、本当に、不思議な光景でした。

ただ、惨状が落ち着き、少し復興してくると、たちまち元に戻りました。「自分の土地の境界はここだ。それは、違っている。」など、自己の損得に戻りました。

大参事の時には、社会は、消滅します。比較と競争の社会は、意味を失います。そのとき、人は、本来の人間の心に戻るのでしょう。

復興が進んでくると、社会が戻ります。比較と競争の社会です。また、私たちは、比較と競争の修羅場に戻っていくのでしょう。

今回の、東北地方太平洋沖地震でも、多くの人の優しさが伝えられました。苦労されているのに、困っておられるのに、その人達の優しさは、心打たれ、心惹かれます。

人間は、こんなにも素晴らしいのだ。人間に生まれて良かった。この人々と、一緒におれて良かったと思わずにはいられません。

これが、Yuですね。

これが、私たちは、Yuの子であるということですね。

そうです。私たちは、皆、Yuの子なのです。

ただ、私たちの社会が、未熟で、不完全なだけです。

世界中の殆どの人の願いが、実現できていないだけです。

私たちが、まだ、主権を得ていないだけです。

阪神淡路大震災のときに、すべての家が倒壊したのではありません。

新しい高層建築は無傷でした。明石海峡大橋も大丈夫でした。高級住宅も壊れていません。

今回の津波も、過去の津波の教訓を生かして高い堤防を作った村は無事だったという報道がありました。

マグニチュード8や9と多少高くても、それは過去のデータから見れば、予測範囲でしょう。

「この世界は、素晴らしい法則と、美しい調和でてきている。Yuの世界だというが、なぜ、このような災害が起こるのか。Yuは、優しいどころか、残酷ではないか。そもそも、Yuなどいないのだ。」と思う方が少なくないかもしれません。

しかし、これは、人災です。私たちが、主権であれば、防げた災害でした。

地球や宇宙の法則を知ることができます。身体の法則も知ることができます。

本能で生きていけない人間は、知性を得ました。法則を知り、危険を予防する能力を与えられました。

その知性が、正しく使われていません。比較と競争の社会のためです。

そして、大多数の人は、比較と競争の社会を望んではいません。人間は、本来、優しいのです。

私たちの、さまざまな悩みや苦しみは、表面上は、いろいろな原因があるように見えますが、根底は、本来、人間が望んでいない比較と競争の社会で生きなければならないことから来ます。

本来の私たちが望んでいる、優しい社会ではなくて、比較と競争の社会であることから来ます。

だからこそ、優しい社会にしたいと思います。

Yuの社会です。

そして、それは、決して不可能ではありません。

一人一人が、Yuの子の自分を生きたいと願えば良いからです。

一人一人が、本気になれば、良いからです。


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