タイトル | : Nは、結果として、不幸な世界を支えている |
投稿日 | : 2012/03/07(Wed) 09:46 |
投稿者 | : sasada |
いろいろな自分の中で、N「良い評価を得るために、自分を抑えて社会適応する良い子ちゃんになる自分」は、非常に多いですね。
現代人は、自我が大きくなってきているので、KやPKが多いのはわかります。
また、ご飯を食べなければ餓死しますので、E「ご飯を得るために、自分を抑えて、社会適応する自分」も多いのは、分かります。
しかし、Nが多いのはなぜなのでしょう。
人間の歴史は、ごく一部の支配する人と、大部分の支配される人から成り立っています。
歴史の最初の頃は、人間の力は弱く、大自然の驚異に晒されていました。また、神の怒りは、とてつもなく恐ろしかったでしょう。ですから、神につながる人が、権威と権力を持ったのでしょう。
次の時代で、権力を持ったものは、武力です。武力が人を支配するようになりました。武力を持った人が、支配者となりました。
現代は、経済が世界を支配する時代です。お金を持っている人が、権力を持ち支配者となりました。
支配者にとって、Kは最も警戒すべきものです。Kの強い人は、支配者を倒して、自分が支配者になろうとしますから、支配者にとって、Kは最大の敵です。
Eは、ご飯のために、自分を抑えて社会適応する人ですから、支配者にとっては、支配しやすいでしょう。ただ、あくまでも、ご飯のためですから、支配者に従順であるとはかぎりません。
その点、Nは、支配者にとって、最も扱いやすい人です。Nは、良い評価が欲しいのです。良い評価をもらうために、良い子になるのですから、反抗するはずはありません。
「これが社会の常識です。これは、人間が守らなければならない規律です。」と言えば、進んで、それを受け入れます。
そればかりか、社会の常識や、規律を守らない人がいれば、「人間として恥ずかしいことだ。人間失格だ。」と、皆で攻撃してくれます。村八分社会が形成され、相互監視の仕組みができあがります。
進んで、支配者に従順なだけではなく、支配者に背く人がいれば、皆で村八分にしてくれます。支配者にとって、これほどありがたいことはありません。
支配者は、Nに対して、良い評価や優しさを与えます。良い評価がもらえれば、良い仕事も、良い結婚もできます。E(ご飯)は心配ありません。
枠の中である限り、D(快楽)を楽しんでもかまいません。ありがたい存在ですから大切にしてくれます。存在価値も高まります。KやEを生きるよりも、Nの方が、ずっと心地よいことなのです。だから、Nが多いのです。
ただ、現代人は、自我が非常に大きくなっていますから、本来のNをすることができにくくなっています。
また、国王やお殿様のような、特定できる明確な支配者はいません。
しかし、全く、支配者がいないわけではありません。不明確なだけに、よく考えてみなければなりません。
私たちは、一人一人聞いてみれば、誰だって、自由で、平和で、平等な世界が良いと答えるでしょう。
子供たちが、優しく、元気に、のびのびと育ってくれることを望むでしょう。
しかし、現実は、そうではありません。
人間は、産業革命とその後の目覚しい技術革新によって、極めて豊かになりました。
今の私たちが持っている富は、世界中の人々が、豊かで文化的な暮らしをするのに十分です。
でも、現実は、違います。貧しい国では、この瞬間も、餓死する子供たちがいます。ワクチンや薬がないために、伝染病で命を取られています。
貧しい国だけではなく、先進国ですら、多くの人は、過労死するまで、突然死するまで働かなくてはなりません。真面目であればあるほど、うつ病になるでしょう。日本は、毎年、3万人以上の人が自殺しています。
子供たちの目は輝いていません。未来への希望で、胸がワクワクすることなどありません。
この悲惨さは何なのでしょうか。私たちが、願ったことなのでしょうか。
いえ、そうではありません。一人一人は、平和を願っています。優しさ心を持っています。子供たちが、いきいきと生きれる世界を心から望んでいます。
もし、今の時代が、支配者などいない、自由で平等な社会だというのなら、どうして、私たちが願っている優しくて楽しい世界が実現できないのでしょう。
私たちの願いが、悲惨な世界であるのなら、仕方がありません。しかし、私たちは、不幸や苦しみに満ちた、希望のない社会など願ってはいないのです。
もし、私たちに主権があり、私たちの願いどうりの社会が実現できる権限があるのなら、世界は、今すぐに、この瞬間にでも、平和で希望に満ちた世界になります。
でも、それはできません。世界は、豊かで、富にあふれています。世界中の人々が、衣食住と身の安全を得るには、十二分にあります。
なのに、富と豊かさは、一部の人に集中しています。豊かさや富は、一部の人に握られ、大多数の人々は、苦しい人生を余儀なくされています。
最も先進国である米国では、貧富の差がどんどん拡大して、1%の持てる人と、99%の持たざる人になっていると言われています。日本も、どんどん格差が拡大しています。
本来、豊かさと富は、Yuが、Yuの子の私たちに与えてくれたものです。
石油ひとつをみても、石油は、人間が作ったものではありません。また、ごく一部の人間のために用意したものでもありません。
水や酸素や太陽が、すべての人に平等に与えられているように、石油もまた、すべての人に与えられたものです。
なぜ、このようなことが起こるのでしょうか。自然に起こっているわけではありません。自然に起こるのであれば、大多数の人が、願っている世界になるはずです。
これは、意図されたものです。一部の持てる人というのは、お金を持っているだけではなく、自分たちの都合の良いように、世界の仕組みを作ったり、動かしたりする力を持っているということです。よりお金を持つための世界を作り出しているということです。
現代の社会から良い評価をもらおうとする良い子のNは、この世界の仕組みを支えているということです。
Nは、そんなことは夢にも思ってはいないでしょう。しかし、結果として、この世界の仕組みを支えているのです。
自由と平等は、人間の当然の権利であると、私たちは思っていますが、人間の歴史で、自由と平等が実現したことは、一度もありません。
現在も、それは変わりありません。
本能から自我に目覚めた人間は、Yuを知らない限り、孤立と孤独に陥り、自分のことしか考えられない自分になります。
多くを持ったからといって、孤立と孤独になり、一人ぼっちで死んでいくという運命から逃れられることはありません。
持たなかったからといっても、同じ運命です。持っても、持たなくても、自滅のシナリオです。
Yuなしに、人間が、幸せになることはできません。
Yuなしに、自分のことしか考えられない自分から自由になることはできないからです。
自分の中にあるYuの自分を生きるのか、自分のことしか考えられない自分を生きるのか、それだけの違いです。
それが、自分だけではなくて、子供たちの幸せも左右します。
自分のことだけならまだ良いのですが、子供たちのことを考えると、とても、つらいですね。このままでは、悲しすぎます。
折角生まれてきた子供たちに、優しくて生き生きした世界をプレゼントしてあげたいと思います。
そのためにも、多くの人が、当てはめをして、Yuの自分を発見していただきたいと願っています。
それでは、今日も、当てはめです。
どの自分が好きですか。
Eですか、Dですかか、Nですか、Kですか、PKですか、Yuですか?
どの自分を生きたいと思いますか。
Eですか、Dですかか、Nですか、Kですか、PKですか、Yuですか?