生かされてる医学のカウンセリング(性格分析3)
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タイトル 虚無でも混沌でもなく、生きていることを喜べる時代
投稿日: 2012/02/20(Mon) 22:57
投稿者sasada

自分のことしか考えない人と、友達になりたいと思いますか?

自分のことしか考えない人と、結婚したいと思いますか?

自分のことしか考えられない人と、仕事を一緒にしたいと思いますか?

誰も、自分のことしか考えない人とは、一緒にいたいとは思いません。

自分のことしか考えない人が、やがて、何をやってもうまく行かなくなり、独りぼっちになり、悩みや苦しみに落ちていくのは当然でしょう。

悩みや苦しみは、自分が招いているものです。

自分のことしか考えない人とは、私自身であり、あなた自身ではないですか?

自分だけ、なぜ、こんなに苦しまなければならないのか、なぜ、こんなに悩まなければならないのか、どうしてなんだろうと、ぐるぐる考え続けています。

でも、その根底に、私は正しいのにという傲慢さがありませんか?

「そんなことはない。私は、そんな傲慢ではない。私は、自信を失っているのです。自信を失っている私が、傲慢なはずはないでしょう。」と、多くの人が答えるでしょう。

しかし、自信を失うというのは、根底で、私は正しいと思っているからです。

初めから、根底で、自分は間違っていると思っている人は、自信を失いません。自信がないのが、当たり前だからです。

自信がない人というのは、傲慢だったから、自信を失ったのです。

それでも、納得しない人は、次の問いに答えてください。

「自分で心臓を動かしているのですか? 酸素や水や太陽を、自分で作っているのですか?」

1回でも、自分で心臓を動かした人は、1人もいません。自分で生きているというのは、100%の間違いです。100%の妄想です。

しかし、殆どの人は、自分で生きていると思っています。

これは、究極の傲慢でしょう。

命は、一番根本の問題です。その一番根本の問題で、自分で生きているはずがないのに、自分で生きていると主張し続けるというのは、傲慢でなくて何でしょう。

自分で生きていると思っている限り、衣食住と自分の存在価値は、自分で得なければなりません。

社会の中で、戦い、競争に勝たなければなりません。

自分で生きているという思いが強ければ強いほど、孤立と孤独と死の不安は肥大します。

自分で生きていると思い込んでいる限り、私たちは、自分のことしか考えない人にならざるを得ません。

自分で生きているというのは、Kです。

そして、このKのために、Eも、Nも、Dも強度に拡大していきます。

自分で生きていると思い込んでいる自分のことしか考えない人ばかりの社会で、自分のことしか考えない自分が生きるのですから、うまくいきはずがありません。

悩みや苦しみは、結局は、人間が生みだしたものです。人間の社会が、生みだしたものです。

その根底は、生かされている医学的事実を知らないことから来るものです。

生かされているのは、科学的、医学的事実です。宗教や道徳ではありません。社会の価値観でもありません。人間が、作りだしたものではないのです。

貧しい時代は、ご飯を食べること、つまりEが最優先ですから、このようなことはたいした問題ではなかったかもしれません。

しかし、現在は、目覚め肥大した自我の時代です。肥大しすぎて、少しのことでも、傷つき血を流さなければならないKの時代です。

Kから自由になるには、事実しかありません。人間が作りだした価値観であれば、Kの時代では、議論ばかり戦わせて、何の決着も付かないでしょう。

どのような価値観であれ、どのような哲学であれ、正しいということもできるし、否定することもできるからです。

現代は、ルネッサンス文明の崩壊期です。文明の崩壊期とは、あらゆる価値観の崩壊する時です。あらゆるものが正しいとも言えるし、あらゆるものが間違っているとも言える時代です。

救いは、唯一つ、事実だけです。

人間が作った価値観がすべて崩壊していく時代です。

しかし、それは、開放でもあるのです。

やっと、長い長い歳月、人間を縛ってきた過去の価値観から自由になれるときが来たということでもあるのです。

目覚めた自我は、どのような価値観であれ、縛られることを望みません。

目覚めた自我は、自由に、自分の目で見て、自分の感性で感じ、自分の実感で生きたいのです。

やっと、その時が来たのです。

しかし、縛られないだけでは、価値観から自由になっただけでは、何もありません。

虚無です。混沌です。虚空を漂うだけです。

天才は、それを早く感じます。

19世紀から20世紀の天才たちは、虚無に直面しました。そして、虚無に飲み込まれていきました。

人間の作りだした価値観から自由になっても、それだけでは、単なる崩壊であり、虚無です。果てしもない混沌です。

しかし、150年前から、私たちは、顕微鏡を自由に使えるようになりました。

そして、私たちは、1個受精卵から出発して、75兆個もの細胞になって生きていることを知りました。

科学的に、医学的に、私たちは、素晴らしい法則と調和でもって生かされて、生きているという事実を、歴史上初めて知りました。

虚無でも、混沌でも、虚空でもなかったのです。

虚無や混沌に見えたのは、人間が、自分の頭で考えることだけが正しいという妄想に、なおかつ固守しただけだったのです。

哲学や芸術の天才は、医学的事実を取り扱う方法を知りませんでした。

また、一方、科学は、唯物論に支配されていました。唯物論は、科学とは全く無関係なものであると、正しく理解することができませんでした。

今、ようやく、私たちは、科学的、医学的に、正しく事実を見ることができる時代に達しました。

もはや、虚無でも混沌でもありません。

大きな生命の世界の中で、私たちは、素晴らしい法則と美しい調和で生かされています。

しかも、無条件のかぎりのない優しさのなかでです。

やっと、私たちは、自由です。やっと、生きていることを、共に、喜べる時代に達したのです。


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