タイトル | : 私の唯一の願い |
投稿日 | : 2012/02/19(Sun) 01:00 |
投稿者 | : sasada |
私は、どんな人を見るときでも、「この方は、どのような病気で、あと何年ぐらいで亡くなるのかな?」という観点から見ています。
これは、臨床医として、自然に身に付いた感覚です。
病気のある方であれば、その病気を放置すれば、これから悪化し、あと何年ぐらいで、どのような状態で亡くなるのかを推定し、それを防ぐためには、今、どの治療を、最優先にしなければならないかを決定します。
さらに、私は、健康医学の医者をやっていますから、病気がないときから、この方は、やがて、どのような病気になり、どのようにして亡くなっていくのかという長期にわたるを予想をして、アドバイスや指導をしています。
しかし、そのような予測が、全く役に立たないこともあります。
Tさんについて、とても苦い思い出があります。Tさんは、私より1歳年上の男性でした。健康道場に何度も入所され、心身医学にも関心を持たれ、誠実に学びを続けておられました。
当時は、東京や神戸で、定期的に、研修会を開いており、Tさんは、神戸の研修会のお世話をしてくれていました。健康には、全く問題のない方でした。
それなのに、8年前の12月上旬の未明、ベットの中で、突然死をされました。致命的な不整脈発生によるものではないかと思います。56歳でした。
その日の寝る前に書かれていたブログがありましたが、そこにも変調を感じさせるものは何もありませんでした。
健康医学の医者としては、軽微な変化も見逃すことはできません。今、病気がなくても、将来、病気になって命を縮めないように、アドバイスし指導するのが役割です。
しかし、私は、Tさんの死を予測できませんでした。検査データは正常。自覚症状もない。生活習慣も、マイペースの方でした。今、振り返ってみても、予想できません。
言えることは、人は、必ず死にます。どんな人でも避けることはできません。死亡率は、100%です。しかも、明日かもしれないのです。医者が親しく診ていたとしても、予測できない時もあるのです。
生きているということは、当たり前のことではなく、本当に不思議で、奇跡のように感じます。
不思議で奇跡のようなこの命をどう生きるか。
かぎりある命、そして、不思議な命、それを見つめれば、見つめるほど、私は、Yuを生きたいと思います。
私に、残された命がどのぐらいあるのか分かりませんが、その残された命を、精一杯、Yuを生きたいと思います。
それが、私の唯一の願いです。