生かされてる医学のカウンセリング(性格分析3)
[記事リスト] [新着記事] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]

タイトル 未来は何によって見る?
投稿日: 2011/05/04(Wed) 19:40
投稿者sasada

  私達の頭の中には、過去の記憶が一杯詰まっています。過去の出来事は、一時的に忘れることはあったとしても消えることはなく、すべて記憶されていると言われています。確かに、老人が、若い頃の思い出を鮮明にお話になるということはよくあります。

  考えるということは、この過去を使って考えています。明日や将来のことを考えるといっても、明日を見ることができる人は一人もいません。すべて、過去の記憶からの想像です。

  過去の出来事は、「世間体」と「我」でできています。つまり、NEDFKS(ネッドフックス)でできています。だから、私達は、どんなに考えても、「世間体」と「我」、NEDFKS(ネッドフックス)ばかりなのです。

  頭の中に入っている情報が、「世間体」と「我」の過去ですから、そこからどんなに将来のイメージをしようとしても、新しいイメージなど出てくるはずはないのです。

  過去は過去として理解しなくてはなりません。なぜ、私はこのような性格になったのか。なぜ、私は行き詰まったのか。なぜ、希望のある未来をイメージできないのか。それらは、すべて過去に原因があるのですから、過去として理解しなければならないのは当然です。

  しかし、過去で、明日や将来を考えてはなりません。それは、無意味であるばかりではなく、有害です。「我」と「世間体」の過去で、明日と将来を台無しにしてしまうからです。希望を失ってしまうからです。

  それはそうでしょう。明日も未来も、単なる「世間体」と「我」の過去の繰り返しだとしたら、生きていく意欲がでてきますか。希望が息づきますか。

  では、「明日と未来は、何によって見るのか」ということです。それは「世間体」と「我」の過去でないものによって見なければ意味がありません。そのようなものが、私の中にあるのでしょうか。私の中にあるものは、過去ばかりではありませんか。

  そうです。確かに過去ばかりです。新しいものなど何一つありません。しかし、私のなかに「ふとした優しさ」があります。過去の私でない、不思議な優しさがあります。「世間体」と「我」の過去によって汚染されていない、みずみずしい初々しい「ふとした優しさ」があります。

  未来は、これによって見るのです。この「ふとした優しさ」をできるだけ大きく育てて、未来を見るのです。いや、見ると言うよりも、自然に視界が広がって見えてくるのです。

  今まで、「我」と「世間体」に執着していた私が、「本当の私」だと思っていましたが、それは過去の記憶に支配された自画像に過ぎないのです。「本当の私」は、この「ふとした優しさ」を感じている私です。

  「ふとした優しさ」の先にあるものは、Yuの世界です。生かされてる医学のトレーニンクをしていけば、「ふとした優しさ」は、水と太陽を得た植物のように成長します。「本当の私」が成長します。未来が広がってきます。希望が息づいてきます。


- 返信フォーム (この記事に返信する場合は下記フォームから投稿して下さい)
おなまえ
Eメール
タイトル
メッセージ   手動改行 強制改行 図表モード
参照先
暗証キー (英数字で8文字以内)
  プレビュー

- 以下のフォームから自分の投稿記事を修正・削除することができます -
処理 記事No 暗証キー