生かされてる医学のカウンセリング(性格分析3)
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タイトル いろいろな人間とYu(ユー)人間
投稿日: 2011/05/21(Sat) 21:13
投稿者sasada

 現代の社会を生きている人々を見ていると、いろいろなタイプの人がいます。大きく分けると、「しきたり人間」、「損得人間」、「好き嫌い人間」、「我人間」、「Yu(ユー)人間」です。

 「しきたり人間」は、古い世代の人々です。貧しい時代を経験していますから、何よりもしきたりが大事です。お家大事ということで、国や家のために生きることが第一です。

 貧しい時代で生きていくためには、衣食住が必要です。そのためには、社会の一員となりお互いに協力しなければなりません。世間は、自分が生きていくために不可欠なものでした。

 ですから、しきたりを守ることは自分を守ることです。ただ、豊かな時代となった現代では、しきたりを守ることの意味は殆ど消失しました。しかし、しきたりを守らなければ自分や家族は危険にさらされるという観念は、容易には消えません。若い世代の人たちに、それを言っても無意味であり反発を買うだけなのですが、言ってしまいます。

 「損得人間」は、日本が高度成長をし、豊かな時代になりつつある時代に大きくなった人達です。豊かになってきたので、それほどしきたりを守らなくても、衣食住が得られます。しきたりは存在価値を失ってきます。しきたりは社会性ですから、社会性の消失と言うことです。

 代わって登場したのが、損得です。豊かな時代になりつつあるといっても、まだまだ遊んで暮らせるわけではありません。油断をすれば貧しい生活が待っています。

 なまじ豊かになっただけに、貧しい生活はごめんです。自分や家族の生活はやはり守らなければなりません。そこで頼りになる判断基準は損得です。しきたりにしがみついていたって、得はありません。下手をすると損をするだけです。

 しかし、しきたりを全く捨てたわけではありません。「しきたり人間」はまだまだ健在ですし、力もお金も持っています。しきたりは有形無形に残っています。ですから、得をするしきたりには従うが、損をするしきたりからはできるだけ逃げるという、まさに「損得人間」になったということです。

 特に、浅間山山荘事件が起きた後の世代はそうではないでしょうか。あの最後の学生運動では、「何をしたって、結局は何も変わらない」という無気力感を残しました。その後の世代は、もはや世界の平和や社会正義などというもにのは興味を持たなくなったように思います。社会性のない「損得人間」の時代です。

 その次が、「好き嫌い人間」です。日本は、その後もっと豊かな時代になりました。物も食べ物もあふれています。生まれたときから物があふれていますから、頑張らなければ生きていけないということは分かりません。将来困るというのは、困ったことを経験しているから想像できることであって、衣食住で困るということを経験したことのない若者には分かりません。

 しきたりも損得も衣食住を得て自分や家族を守るための方法ですから、守る必要を感じない若者には無意味なものです。判断基準や行動の動機は好き嫌いだけになります。「それでは将来困るよ」と、しきたりや損得を強制しようとする親や大人は、自分を押さえ込もうとするだけの存在です。

 「我人間」。豊かな時代になれば自由になってきます。がんじがらめに人間を縛ってきた貧しさから脱出できます。ご飯のために犬になったり鬼になる必要も薄れてきます。そうなると、自分が出てきます。自分の尊厳、プライドが大きくなってきます。それは、当然ですが、おおきくなった自我は、傷つけられやすくなります。

 貧しい時代には、自我などは問題になりません。食べることが第一です。餓死します。そして、食べられれば最高の喜びです。この時代には、プライドなどどうでも良いことなのです。喜びや幸せはご飯が食べられ飢えが満たされることであり、プライドが満たされることではないからです。

 しかし、豊かな時代になれば、ご飯が食べられることは当然のことです。それはもはや、生きていることの喜びでも感動でもありません。そうなると、自我がでてきます。プライドが満たされなければならなくなります。

 それは自我やプライドが肥大化することです。肥大した自我やプライドは、肥大しいてるだけに、少しのことでも傷つきます。しきたりや損得を教えようとする大人や親は、自分の自我やプライドを傷つけ否定するものと映ります。また、好き嫌いだけで群れようとしている「好き嫌い人間」も、自分をバカにしていると感じるでしょう。

 それはそうでしょう。「我人間」にとって、最も大事なものは、自我でありプライドです。しかし、「しきたり人間」や「損得人間」にとって、最も大事なものは、自分や家族の生活を守ることです。

 そのために、しきたりや損得に一生懸命になって生きているのです。しきたりや損得よりも、プライドのほうが大事という人間はばかとしか見えません。しかも、それが自分の子供であれば、ばかではすみません。心配で心配で夜も寝られないでしょう。

 しかし、子供の方にしてみれば、自分にとって一番大事な自我やプライドを「そんなもの何の役に立つの!」という一言で否定されるのですから、たまりません。「好き嫌い人間」から、人生は楽しければよいのだと言われても、違和感しか感じないでしょう。

 「我人間」は、孤立と孤独と空しさに陥り、自分だけが静かに自滅する、あるいは周囲も巻き込み破壊による自滅へと進んで行くでしょう。

 最後は、「Yu(ユー)人間」です。「しきたり人間」、「損得人間」、「好き嫌い人間」、「我人間」、それらでは嫌だ。私は、本当の自分を生きたいと願う人達です。素晴らしいことです。人間の当然の願いです。せっかく人間に生まれ、しかも衣食住で人生が終わるという時代ではなく、ようやく豊かな現代に生まれたのですから、本当にそうしたいです。

 ただし、本当の自分を生きたいと願うだけでは、「我人間」に終わります。とうてい自分の力で「我」から自由にはなれません。「我」を越えることはできません。私達の「我」はとてつもなく強い殻です。この殻を打ち破ることが必要です。「自分の力で!」と考えていることこそ、まさに「我」です。

 このように、現代の日本には、いろいろなタイプの人がいます。典型的な人もいるでしょうし、2つのタイプの混合という人もいるでしょう。時には、このタイプ、違うときには、このタイプという人もいるでしょう。

 しかし、いずれにせよ、限界が来ています。前が見えません。このままでは沈んでいく以外ないでしょう。どうすればよいのでしょうか。まさに世紀末です。

 でも、心配はご無用。私達の前には「Yu(ユー)人間」という選択があります。その選択さえすれば、私達にはYu(ユー)がついています。Yu(ユー)によって生かされています。

 「我」から自由になれるのは、Yu(ユー)によってのみです。本当の自分を生きたいという素晴らしい願いを持ったのですから、何としても、生かされてる医学の5つの方法によるトレーニングをして、Yu(ユー)を知り、「Yu(ユー)人間」になりましょう。


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