生かされてる医学のカウンセリング(性格分析3)
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タイトル 「命は大切」という言葉に生気を与えよう!
投稿日: 2011/05/21(Sat) 20:50
投稿者sasada

  命の問題を考えるときに、まず最初に大事なことは、「人間は、命に関してはすべて平等である」ということでしょう。

  「そんなことは当たり前です。」、そう誰もが言うでしょう。しかし、平等という言葉は、そんなに当たり前のことでしょうか。当然のことでしょうか。

  平等という言葉は、決して当たり前ではありません。その起源は、キリストの言葉です。「神は愛である。神の前に置いて、人間はすべて平等である。」というキリストの出現によって、人間の社会の中に平等が正しい価値観として登場しました。

  しかし、容易には、平等は実現しませんでした。過去の歴史は、支配者と支配される人間の歴史です。平等が当たり前であれば、国王は存在できません。国王にとっては、平等は自分の足下が壊れることで、最も嫌悪すべき言葉でしょう。

  支配する側からみれば、平等は破棄したいものですし、支配される側からみれば、何としても手に入れたいものです。この戦いが、人間の歴史を形作ってきたものです。

  その後、実に多くの犠牲を払い、少しずつですが、平等は広がってきました。日本を始め世界の文明諸国では、平等は当たり前と言えるほどまでになりました。

  「隠されたもので、顕わにならないものはない」というキリストの言葉は、まさに平等において正確でした。今彼が生きていれば、感慨深くこの世界を見ることでしょう。

  ただし、よく見ると、この平等は、キリストの言う平等ではありません。現代の平等は根無し草です。

  ルネッサンス以降、私たちは神を否定しました。人間中心の世界を造りました。ヒューマニズムです。「人間は平等である」という言葉を支えるものは、神ではなくて、ヒューマニズムになりました。

  しかし、第一次世界大戦、第二次世界大戦、その後も各地での武力紛争が続き、大量虐殺を行ってきました。

  アウシュビッツの虐殺や広島、長崎の原爆投下の前にして、ヒューマニズムは何もできませんでした。共産主義は滅びましたが、資本主義という、結局はお金だけの社会になりました。

  「人間は平等である」という言葉を支えてきた神もヒューマニズムも力を失い、平等はその根拠を失いました。言葉だけが行き来する時代になりました。

  事件が起こる度に、社会のいたる所で使われる「人の命を大切にしよう。」という言葉が、空しさを帯びている、というのが現代という時代でしょう。

  花に水を与えるように、「人間は平等である」、「人の命は最も大切なものである」という言葉に、生気を与えなければなりません。

  これらの言葉が、真実のものにならないかぎり、本当の問題の解決にはなりません。「生かされてる医学」を学んでいただきたい、Yu(ユー)を知ってほしいと願います。

  それらは、Yu(ユー)から来る真実だからです。Yu(ユー)の時代の実現が、切望され、待望される時代に入ったと言うことでしょう。


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