タイトル | : 自分自身の中に、Yu(ユー)を見出す |
投稿日 | : 2011/05/11(Wed) 06:21 |
投稿者 | : sasada |
私たちは、E・D・我を求めますが、その中身が問題です。一時的な安心や満足やプライドではなく、永遠の安心であり、終わることのない満足や消えることのない優しさであり、傷つくことなく輝く自分です。
しかし、それは、Yu(ユー)の世界でしか得られないものです。
「最初は、E・D・我を求めていたように思ったが、突き詰めてみると、私は、E・D・我ではなくて、Yu(ユー)を求めているのだ。」という発見は、衝撃的な発見です。
突き詰めれば、私たちは、E・D・我ではなく、Yu(ユー)を求めていたという発見です。
それは、確かに大変な進歩です。
「両方欲しいさん」、「みんな欲しいさん」で、葛藤し苦しんでいた段階から見れば、大進歩です。
しかし、そうは言っても、この段階は、Yu(ユー)を求めているのであって、「して欲しい人」であることに変わりはありません。
人に求めて来たのを、Yu(ユー)に求めるということであり、やはり、「我」の状態です。
これでは、Yu(ユー)に対して、「良い子」にならなければならないという縛りに落ちます。自由にはなれません。
さらなる段階は、本当の自由への段階です。
それは、自分の中に、「ふとした優しさ」を発見することです。自分自身の中に、Yu(ユー)を見出すことです。自分の中の「ふとした優しさ」を育てる、これが、本当の自由への道です。