タイトル | : 「生かされてる医学」は山登り |
投稿日 | : 2011/05/10(Tue) 22:37 |
投稿者 | : sasada |
「生かされてる医学」は、まさに山登りです。
麓の登山口まで来て、「さぁ、登るぞ!」と決意をします。
登っていくときは、さまざまな苦労があります。くじけそうになったり、谷に落っこちたり、雨や嵐にみまわれたり、大変です。
やがて、ついに頂上に到達します。頂上体験です。これが、FYu(ユー)体験です。
FYu(ユー)体験をした後は、下山していきます。そして、前に住んでいた社会に戻り、自由な生活を送ります。
登山口で、「登るぞ!」と決意をすることは、Fの選択です。
登って行くことは、前に住んでいた社会から離れて遠ざかっていくことですから、孤立と孤独になります。
孤立と孤独は、寂しくてつらいです。しかし、孤立と孤独に負けて、社会へ戻れば、E中のFで終わります。
F(本当の自分を生きたい自分)は、迷います。何度も戻ろうと思います。しかし、戻れません。本当の自分、自由をあきらめることはできません。
ふと、お花畑が見えます。かすかではありますが、Yu(ユー)です。自分の中の「ふとした優しさ」です。Fは、登っていくことへの希望を取り戻します。こうして、頂上までたどりつきます。
FYu(ユー)体験ができれば、後は、自分の中の「ふとした優しさ」が、自分を導いてくれます。社会に戻り、「ふとした優しさ」によって、生きていきます。
勿論、一度のFYu(ユー)体験で、すべてが終わりというわけにはいきません。社会の中で、繰り返し繰り返し、FYu(ユー)体験をして、強化していきます。
強化するごとに、「ふとした優しさ」が強まり、自由が広がります。
このように、「生かされてる医学」は、山登りです。最初は、どうしても一度は、山を登り、頂上体験をしなくてはなりません。
この頂上体験なしに、社会へ向かえば、E中のFとなり自滅のシナリオになります。
自分の本心が、E中のFであるのなら、自滅のシナリオになったとしても、それはしかたがないでしょう。
また、本心が、E中のFの人が、E中のFを成功させるために、「生かされてる医学」を学ぼうとしても、山を登る気持ちはないのですから、何の効果もあがりません。対象外ですと言うしかありません。
しかし、自分の本心が、たとえ麦の一粒ほどしかないとしても、F(本当の自分を生きたい自分)であるのなら、決断して登りましょう。