タイトル | : 最も大事なもの、最も高価なもの |
投稿日 | : 2011/05/10(Tue) 22:31 |
投稿者 | : sasada |
本日もまた、お手紙が来ました。
いろいろなお手紙が来ますが、その中には、悲痛なものもあります。医師には、守秘義務がありますので、その内容をお話しすることはできませんが、なんとかしてさしあげたいという思いになります。
しかし、一切お断りをしています。「まずインターネットを始めていただき、そこから入会してください。」と申しております。
高齢だからとか、機械は苦手だからと言われる方がいますが、精神は歳を取りませんし、その気になればインターネットは簡単にできます。
「生かされてる医学」は、インターネットによる通信教育です。私への窓口は、インターネットによる通信教育しかありませんし、その原則を崩すことはありません。
責任を持ってご指導するためには、継続的に学んでいただき、トレーニングをし続けるシステムが必要です。特に、心のご指導は、継続的に繰り返し繰り返し行わなくては、本当の効果が得られません。
心は、私たちにとって、人生の運転手のようなものです。最も、大事なものです。心が乱れれば、車は迷走したり暴走するのですから当然です。また、衣食住が一応満たされた現在、心の自由や喜びは、最も高価なものです。
最も大事なもの、最も高価なものを取り扱うのだという意識が非常に大事なのです。時間を十二分にかけて、大事に丹念に扱わなければならないのだ、という意識化が大切です。
「ちょっとお話を聞いてください。」というようなことをよく言われるのですが、「ちょっと」とでは、大抵は、効果がないばかりか、逆効果にすらなります。
簡単には、心の運転技術と心の自由や喜びは得られません。
それは、「生かされてる医学」に入会していただいた方についても同じです。「すぐに本当の自分を生きて、自分の山を登れる。」と思っておられる方も少なくないかもしれませんし、なかなか効果が得られないので、あせったり、失望したりしている方もあると思いますが、最も大事なもの、最も高価なものを得ようとしているのですから、時間はかかります。
家や車が、高価なものだというのは誰もが知っています。簡単には手に入らないということは理解しています。
私たちの感情は、まだ「物の時代」に属していますから、家や車の価値はよく理解できるのですが、心の運転技術と心の自由や喜びが、最も大事なもの、最も高価なものという理解はなかなかできません。
しかし、心の運転技術と心の自由や喜びは、家や車よりも、もっと大事なもの、もっと高価なものではないですか。最も大事なもの、最も高価なものではないですか。
それが、本当にそうだと理解できたとき、「心の時代」の出発点に立ったということです。