生かされてる医学のカウンセリング(性格分析3)
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タイトル 「我」からYu(ユー)へ
投稿日: 2011/05/09(Mon) 06:56
投稿者sasada

  Fの人は、明確にFの自覚をすることです。そして、Fを生きることです。ただし、Fだけであれば、「我」にすぎません。Yuに至らないFは、我に過ぎません。しかも、非常に強い「我」です。そのままでは、「我が強い」だけで終わります。「我」は孤独と孤立の中で自滅するだけです。

  「我」から自由にならなければなりません。しかし、もう十分苦しんだでしょう。のたうち回ったでしょう。そして、自分の力では、どうにもできないということも思い知ったでしょう。「我」は真っ暗闇でグロテスクで苦悩しかないことを学んだでしょう。

  それは、授業料です。Fの人が、「まだ自分で何とかなる、何とかする」という時は、「我」でしかありません。「我」のままで行く以外ありません。自滅しかありませんが、それは仕方がありません。「我」が自滅するのは当然です。

  しかし、「もう駄目だ、我でいることに耐えられない。Eは嫌だが、我も嫌だ。こんな苦しいのは、もう嫌だ。なんとか助けて欲しい」、その時、「我」も脱ぎ捨てようとしています。

  「我」は、Fにとっての自己防衛です。鎧甲です。社会の評価によって、自分を守れない人は、自力で自分を守るしかありません。だから「我」という鎧甲をを着て緊張しきっています。

  この状態では、Yu(ユー)に出会えません。「我」は何者も受け入れることはできません。それは、鎧甲を渡すことだからです。自分を守れなくなることだからです。相手がYu(ユー)だったとしても同じです。

  ただ、この「我」にも疲れ果て、もう「我」もいらない。本当に救われたい、そう思ったとき、時は熟したのです。Yu(ユー)に出会えます。そして、「こんなに駄目な自分が、Yu(ユー)にとっては、かけがえのない存在なのか。Yu(ユー)にとって、最も大事な存在なのか」ということに、気づきます。かぎりないYu(ユー)の優しさに初めて心底から気づきます。

  確かに、Fの人が、「我」のままでいることもあります。いや、普通は殆どの人が「我」のままでしょう。なんだかんだと言いながら、「我」で人生を終わります。

  「我」にも満足できないFの人というのは、よほどFが強いのでしょう。言葉を換えて言うなら、よほどFを育てたのでしょう。大変なFです。そして、大変な苦しさです。しかし、この人がYu(ユー)に至ります。

  何故、「我」のままでいく人と、「我」を捨ててYu(ユー)にいたる人がいるのか、それは不思議です。「我」では満足できないほどFが強いというのは、「Yu(ユー)貯金」のせいでしょう。

  「Yu(ユー)貯金」を積み立てていた人は、「我」では満足できなくて、「我」を捨てることができるのでしょう。もっと美味しいアイスクリームがあることを知っているのでしょう。

  もっと美味しいアイスクリームがあることを、意識はしていないでしょう。意識できるのなら、初めからYu(ユー)へ行くでしょう。だから、意識できるほどではないが、無意識のうちに、もっと美味しいアイスクリームがることをしっているのでしょう。

  だから、E(自己防衛本能)が目的にならないのは当然としても、「我」だけで終わる人生が満足できないのは当たり前なのでしょう。

  ではどこで、かすかにではあったとしても、もっと美味しいアイスクリームがあることを知ったのでしょうか。いつ、どこで、「Yu(ユー)貯金」をしたのでしょうか。それは分かりません。ただ、現在の生でないとしたら、前世、過去生ということでしょう。

  そして、現在の生で、やっと意識的にYu(ユー)に出会えたということでしょう。長い長い道のりだったのかもしれません。でも、良かったですね。本当に喜びですね。生きてきた意味がありました。

  ただこのように言うと、「私は、まだYu(ユー)が分からない」と不安になる方がおられるでしょう。確かに、「我」のままで、人生が終われるほどは、Fは小さくない、かといって「我」を捨ててしまえるほど、Fが大きくないという中途半端な人は、本当は最も不幸な人ということになるかもしれません。

  しかし、心配は無用です。Yu(ユー)に出会うということは、「Yu(ユー)を知りたい」ということです。Yu(ユー)とは何かが全く分からなくても、Yu(ユー)を知りたいという心が起こったとき、Yu(ユー)の世界に入っているのです。

  もし、美味しいアイスクリームを全く知らなかったら、それを食べたいとは思わないはずです。「今のはまずい、もっと美味しいのが欲しい」ということは、もっと美味しいアイスクリームがあることを知っているからです。

  「Yu(ユー)を知りたい」という気持ちが。少しでもあれば大丈夫です。芽はあるわけですから、後はトレーニングです。トレーニングあるのみです。「生かされてる医学」はトレーニングです。トレーニングということは、芽さえあれば、花が開くということです。しかも、一人ではありません。生かされてる医学があなたを支えています。


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