生かされてる医学のカウンセリング(性格分析3)
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タイトル 相手がカボチャと見えるまで
投稿日: 2011/05/08(Sun) 23:22
投稿者sasada

  私の小さいときには、漫画の本が流行でした。

  テレビもファミコンもないし、文字ばかりのお話は楽しくありません。月刊誌を買うと、別冊として付いてくる漫画の本にまず飛びつくというのは自然なことでした。私と同世代の方には同じような思い出があると思います。

  取り上げられる話題は、忍者ものや、剣道の達人の話が多かったと思います。

  剣道の達人の漫画で、達人になると、試合をしても、相手がカボチャに見える。まだ未熟な主人公は、師匠からその境地を目指して修行するようにと指示を与えられる。修行をしていくと、ときにはカボチャに見えるが、油断をするとすぐに人間に戻り、その瞬間に、ポカンと打たれ負けるというような話が多かったように思います。

 これは漫画ですが、理由はあっています。人の顔を見ると私たちは色々と考えます。この人はどんな人で何を考えているのか。私に対して好意的なのか、敵意があるのか。実際にその人が考えていることよりも遙かに多くのことを想像してしまいます。特に、E(他人の評価を気にする子供)の高い人は、あれやこれやと何冊もの小説が書けるぐらい考えてしまいます。

  まして、試合で相手に勝ちたいという気持ちが強くなれば大変です。どうしたら勝てるかよりも、負けたらどうしよう。あの人からはどう思われるだろう。この人からはどうだろう。その時、どんな顔つきをしたらよいのだろう。悲しい顔をすれば自尊心が傷つくし、平気な顔をしていたらかわいくないと嫌われるかもしれない。

  結局、相手を見ているのではなく、自分の頭の中で過去の記憶を掘り返し増幅させているだけです。相手にしているのは、自分の過去の記憶だけです。実際の相手は見えていないので、打ち込まれれば負けるのは当たり前でしょう。

  そのとき無の境地になれれば、相手の実像が見えます。あいての弱点やすきが見えます。相手の弱点を突けば勝てます。人間として見てしまうと、いろいろなことを考えてしまうので、「カボチャとして見ろ。カボチャと見えるまで精神集中する練習をしろ」という指示は正しい指示です。

  美空ひばりさんの歌に「柔」というのがありました。「勝とうと思うな。思えば負けるよ」という歌詞です。これも同じですね。

  ところで、今日は剣道の話をするのが目的ではありません。「生かされてる医学」のトレーニングとして、相手がYu(ユー)の子(ユッシー)と見える練習をしてみましょうということなのです。

  対人関係のストレスは、降る雪のようです。寄せては返す波のようです。疲れてしまいます。その対策として、相手がYu(ユー)の子(ユッシー)として見えるように練習しませんかということです。

  最初からYu(ユー)の子(ユッシー)として見るのは難しすぎるというのであれば、カボチャにしましょう。カボチャというのは大変失礼ですが、いずれはYu(ユー)の子(ユッシー)として見るのですから、当面は許してもらいましょう。心の中で、「カボチャ、カボチャ、カボチャ」と繰り返してみると、あらら不思議、何かが変わってきます。


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