生かされてる医学のカウンセリング(性格分析3)
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タイトル 可哀想でない人たちにもYu(ユー)を
投稿日: 2011/05/08(Sun) 20:48
投稿者sasada

世の中には、元気一杯で生きている人もいます。この世の幸せを謳歌している人もいます。この人たちは、可哀想ではありません。

しかし、本当にそうでしょうか。人は、老いて、病気になり、最後は死ななければなりません。誰一人逃れることはできません。しかも、「死んだら灰になっておしまい」と唯物論を信仰しています。

内科医をしていた頃、死に逝く人を見る度に、私は、自分自身や他の人たちの将来の姿と重なるのを感じ、息苦しくなり困ったものです。当時の私は、まだ唯物論的死生観を打破することはできなかったからです。今、Yu(ユー)を知って心は穏やかになりました。喜びを感じられるようになりました。

Yu(ユー)を知った眼から見れば、今、可哀想ではない人も、やがては可哀想になる人たちです。

Yu(ユー)を知らない限り、「死んだら灰になってお終い」です。どんなに、健康で幸せだったとしても、老いと死はすべてを奪い去ります。この世で得ているものが多ければ多いだけ、失うときの落差は大きいものです。Yu(ユー)を知らない健康や幸せは、やがて失うべき健康であり幸せに過ぎません。

もし、まだあなたが、元気な人を見て、可哀想と思えないとしたら、それはまだ、あなたがYu(ユー)を十分に知らないからです。元気な人を見て、可哀想と感じるようになれば、かなりYu(ユー)を知ったことになります。これは、どの程度Yu(ユー)を知ったかという一つの判断基準になります。

本当の幸せは、Yu(ユー)を知る以外にはありません。「今、可哀想ではない人たち」も、やがては可哀想になる人たちだ」と見えたとき、「何とかしてあげたい」という気持ちが動きます。「ふとした優しさ」、「自分には出来過ぎの優しさ」、「自分を越えた優しさ」です。

「かけがえのない人」や「今、可哀想な人たち」に対しての優しさなら分かるのですが、今、元気で幸せな人たちに対する優しさですから、本当に不思議です。毎日、自分自身のことで精一杯です。自分のことだけで精一杯なのに、そうした優しさが自分の中にあります。真っ黒けの自分の中にあります。

それはまさにYu(ユー)からくる優しさです。そして、「この人たちにも、Yu(ユー)を伝えてあげたい」という願いを持つとき、不思議なエネルギーに満たされます。Yu(ユー)からのエネルギーです。目の前の世界が変わります。

しかし、伝えるということは、言葉で伝えるのではありません。「言葉で伝えようとしてはならない」、これは鉄則です。そうではなくて、自分自身が、Yu(ユー)を知るトレーニングをするだけです。

「今、可哀想ではない人たち」に対しても、「Yu(ユー)を伝えてあげたい」という自分の願いと自分の中にある不思議な優しさを確認しながら、日々、トレーニングする、それだけです。そうすれば、Yu(ユー)のエネルギーで生きることができるようになります。

「自分がYu(ユー)を知れば、何もしなくても周りの人も変わる」、これが「生かされてる医学」です。
  


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