生かされてる医学のカウンセリング(性格分析3)
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タイトル 目的は社会の中で生きること
投稿日: 2011/05/08(Sun) 20:31
投稿者sasada

 折角の人生ですから、この世を楽しく喜びで生きたいというのは、誰にとっても当然のことです。

 「孤立と孤独を引き受けますか?」、「社会に求めるものは、餓死しない生活だけです」と言うと、いかにも世捨て人になるような感じがするかしれません。この世の楽しみを捨てなければならないと錯覚されるでしょう。

 しかし、それは全く逆なのです。孤立と孤独を引き受けるということは、精神的に自立するということです。依存しない、承認をもらうことを目的にしないということです。してあげられる人になることです。餓死しないというのは、経済的に自立するということです。

 Yu(ユー)から見れば、私たちは大事な子供です。Yu(ユー)にとっては、子供たちが楽しく喜ぶ姿が、一番の望みのはずです。どうして、苦痛と孤独だけを喜ぶでしょうか。

 「孤独と孤立を、これが私の生きる道」と引き受け、「餓死しない生活しか求めない」、それを実践されればすぐに解ることです。何となく自由を感じられるでしょう。気が楽になり、少し心もウキウキとするでしょう。

 生かされてる医学に一体化し、もっともっとトレーニングを重ねていけば、Yu(ユー)を実感できるようになり、生き方が違ってくるでしょう。Yu(ユー)で生き、Yu(ユー)で死ぬ生き方です。

 そうすれば、同じ仕事や勉強でも、違って見えるでしょう。実践すれば、すぐにわかります。やがて、世間のなか生きることがそれほど苦にならなくなり、結構楽しく機嫌良く生きれることに気が付くでしょう。

 過去の時代も、現在も、楽しく喜んでいきたいということに変わりはありません。ただ、その方法が全く違ってきただけです。衣食住が得られれば、それで幸せという貧しい時代と、自分を生きなければ感動も喜びも感じられない時代との差です。
 
 「自分の山」にしろ、「他人の山」にしろ、目的は、社会の中で喜んで生きるという点では同じです。

 社会適応することが、社会の中で喜びを得る方法だった貧しい時代と、「本当の自分を生きて、自分の山を登り、周囲の人も幸せになれる第3の生き方」をすることが、社会の中で幸せを得る方法になった時代の差です。決して、世捨て人になろうという話ではないのです。この点をどうか誤解しないでください。


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