タイトル | : Fの10段階 |
投稿日 | : 2011/05/08(Sun) 09:34 |
投稿者 | : sasada |
1.集団無意識
2.混迷
3.Fの選択
4.Fの救済
5.Yu(ユー)の理解
6.FYu(ユー)体験
7.FなきYu(ユー)体験
8.錬磨
9.育成
10.自由自在
第一は「集団無意識」の状態です。「皆と一緒にいたい、皆と一緒が安心だ、皆と同じが良いことだ」ということで、集団の中で眠っている状態です。
第二は「混迷」の状態です。混迷は、Fの芽生えによって起こってきます。「皆と一緒だけで人生が終わるのは嫌だ、私は私でいたい」というFの芽生えです。ただ、「私は私を生きたい」と言っても、「やはり皆と一緒でいたい」という気持は強いものです。
日本は村八分社会ですから、皆と一緒が安心です。世間から外れるということは恐怖です。世間の評価が気になります。世間の評価が欲しいです。しかし、Fがありますから、自分も生きたいのです。
世間の評価を得るためには、自分を抑えなければなりません。一方、自分を生きるというのは、「世間体」を捨てることです。方向が180度違います。両方を求めると、ガタガタになります。このなかでは、Fは単なる我になります。我の強さだけになります。自己防衛と我の世界です。混迷、こんだく、混乱が起こります。さまに「自滅のシナリオ」です。
この混迷の時に行うトレーニングは、「他人の山を登り続けるのですか、自分の山」を登るのですか?」、「Eですか、Dですか、Fですか?」、「犬になれますか、鬼になれますか?」という質問です。
第三は「Fの選択」です。混迷の時に、「自分の山」です、Fですということで整理できたとしても、それはきれい事です。「Eですか、Dですか、Fですか?」という質問をすれば、誰だってFでしょう。Fをとるでしょう。しかし、それは選択ではありません。「Fです」ということだけでは到底選択したことにはなりません。
解決のためには「Fの選択」が不可欠です。その時のトレーニングが、「孤立と孤独を引き受けられますか?」という質問です。Fは集団無意識から離れて1人になることです。ただ1人です。孤立と孤独になることです。それを「これが私の生きる道と言って引き受けられますか?」ということです。
これは大変厳しい選択です。しかし、孤立と孤独を引き受けなければ、混迷に戻るだけです。孤立と孤独を引き受けて初めてFを選択したと言えるのです。
第四は「Fの救済」です。「Fを選択した、孤立と孤独を引き受けた」、これは立派なことです。勇気あることです。よく決断されたと心から拍手を送ります。しかし、それだけでは、孤立と孤独でけです。これに耐えられる人はいません。そのままでは自滅します。救済が必要です。
その救済のためのトレーニングが、「自分で生きているのか、生かされてるのかを医学的に問う」というトレーニングです。徹底して医学的に問うていきます一個の受精卵から75兆個の細胞になった私、一日に10万回動いている私の心臓、太陽、酸素、水、それらを自分で作り動かしているのかどうか、徹底して医学的に問うていきます。
そうすると医学的事実として、生かされてる私が分かってきます。大きな生命の世界の中で、生かされてる私を発見します。この時、孤独と孤立は消滅します。
第五は「Yu(ユー)の理解」です。
第六は「FYu(ユー)体験」です。
第七は「FなきYu(ユー)体験」です。
第八は「錬磨」です。第七までやってきても、そう簡単にはいきません。また後へ戻ったり、混乱したりします。錬磨しなければ、本物にはなりません。
第九は「育成」です。錬磨だけでは小さなものです。育成しなければなりません。
第十は「自由自在」です。やっと社会の中で自由自在に生きる時です。