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タイトル救われるということ
記事No97
投稿日: 2011/05/07(Sat) 23:09
投稿者sasada
 仏教でもキリスト教でも「救われる」と言います。では、救われるということはどういうことでしょうか。「神様や仏様を知って大安心を得ること」、たいていはそのようなことでしょうか。

  確かに、貧しい時代では生きていること自体が常に不安でした。伝染病、餓死、戦争といつも命が危ない状態でした。その様なときには、まず安心が欲しかったのは当然かもしれません。

  しかし、現在における「救い」はその様なものではありません。「安心を求めるだけの人生で良いのですか。それで本当に納得できるのですか?」という問いに対して、「安心だけで良い」とためらいもなく答えることができますか。

  安心だけで良いのなら、私たちはもっとウキウキしているはずではないですか。安心は欲しいけれども安心だけを求める人生では、喜べないし救いにならないのではないですか。

  現代において、「救い」はやっと本当の姿をあらわしました。衣食住から解放されて、「救い」ということが、ようやく本当のものになったのです。「本当の自分を生きる、自分の山を登る」ことができること。Yu(ユー)を知ることによって、「自分の山」に登れるようになること、これが本当の「救い」なのです。