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タイトル歴史における存在の肯定体験
記事No62
投稿日: 2011/05/05(Thu) 07:15
投稿者sasada
  政治が混迷しています。いろいろな政治家がいて、独自の政策を発表し、どれを選んだらよいのかが分からないということではなく、どの政治家にも内容がありません。

  国民的人気の人はいても、21世紀への展望がありません。宇宙観も歴史観も死生観もありません。現実は、まさに混迷です。

  ただ、国民は素晴らしいが、政治家だけが悪いというようなことは民主主義の国では起こり得ませんので、国民に見合った政治家がいるということでしょう。

  では、国民が駄目だから諦めましょうということで済むのかというと、そんなに簡単ではありません。

  今までは、目の前に、大きな欧米丸がありました。日本丸は追随していくことで、目的地へ行くことができました。

  追随するだけですから、操縦もいたって簡単でした。時代は、高度成長という晴天です。欧米丸にロープを付けておれば、操縦すら必要ないでしょう。誰が、船長でも名船長でした。

  しかし、ルネッサンス文明の崩壊、「物の時代」の解体という事態になりました。欧米丸自身が沈みつつあります。

  輸入文化の国である日本は、追従する国がある限り優等生ですが、追従する国がなくなったとき、どうすれば良いか分かりません。

  本来、国のリーダとなる政治家は、明確な宇宙観、歴史観、死生観を持った政治家であるべきですが、追従の国では、そんなものは余計なものでしかありません。

  中には、多少なりとも宇宙観、歴史観、死生観を持とうとした人もあったでしょうが、追従の国の政治家は、そのような人を抹殺することが仕事だと本気で信じて、抹殺してきました。

  政治家だけではなく、日本にとって、あらゆる分野に置いて同じ事でした。二流の国日本では、二流でなければリーダーにはなれません。

  しかし、今、急速に「物の時代」の崩壊に直面し、自分の力で船を操縦しなければならなくなりました。それなのに、船長は、宇宙観、歴史観、死生観など何も持ってはいません。船長候補も、同じです。

  これが現代という時代です。「物の時代」の崩壊は現実のものとなったが、「心の時代」はまだ影も形も見えないという過渡期に、私達は生きています。

  ですから、現代の混迷は恐れる必要はありません。当然起こる結果です。大事なことは、「心の時代」に向かって歩み始めることです。

  「心の時代」とは、「一人一人が、本当の自分を生きて、自分の山を登る」時代です。しかし、「本当の自分を生きて、自分の山を登る」ためには、Yu(ユー)を知ることが不可欠です。

  Yu(ユー)なくしては、「我」です。「我」が「我」と対立し戦うだけの最悪の時代になります。「心の時代」ではなく、文明自体が消滅します。「物の時代」の終わりは、「心の時代」の始まりではなくて、人間の文明自体の終わりになります。
 
  Yu(ユー)を知ることが、「心の時代」の始まりであり中身です。そして、いち早くYu(ユー)を知った、あるいは知ろうとしている私達は、「心の時代」の担い手です。

  これが、歴史において、自分の価値を肯定することです。歴史における存在の肯定体験です。この歴史における存在の肯定体験によって初めて、私たちは、明日を生きる希望を得るのです。

  人は、希望なくしては生きていけません。人は、希望によって生きるものです。私達は、今、希望を失っています。だから、生きる感動もエネルギーも湧いてきません。希望は必需品です。

  その希望は、歴史における存在の肯定体験によって初めて得られるものです。この政治の混迷は、私達、一人一人が、「心の時代」の担い手になること、歴史における存在の肯定体験を経験できるチャンスを与えてくれているものです。

  「自分がそんな大きな存在だとはとても思えない。」、そうかもしれません。しかし、それはかえって不遜です。

  自分で生きているのであれば、自分で自分の価値を決めればよいでしょうが、私達は自分の力では生きていません。Yu(ユー)によって生かされています。

  Yu(ユー)にとって、大事な存在です。Yu(ユー)から見れば、かけがえのない存在です。自分の価値を自分で決めるのは、かえって傲慢です。Yu(ユー)によって決めなければなりません。

  勇気を出して、歴史における存在の肯定体験をしましょう。それが、生かされてる医学の5つの方法によるトレーニングです。