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タイトル小学生による母親刺殺事件
記事No44
投稿日: 2011/05/04(Wed) 21:49
投稿者sasada
  先日、小学6年生の男子が、自殺をしようとしているのを見つかり、止めようとした母親を包丁で刺殺するというショッキングな事件が起こりました。

  この事件を聞き、多くの方は、「完全に例外的な事件であり、自分や自分の周囲とは全く無関係なもの」という受け止め方ではなくて、「ついに、ここまで来たか」という思いをされたのではないかと思います。

  事件自体も深刻ですが、多くの方の受け止め方がそうであれば、これは本当に深刻なことです。

  実際に、自殺や殺人をする人は稀であり、例外的な事件ですが、問題なのはその心理です。その心理が、私たちと全くかけ離れたものであるのなら、不幸な事件、嫌悪すべき事件で済みます。

  しかし、現代の私たちの多くは、実際には行動を起こさないが、心理的には自分や自分の周囲と、全く無関係とは言えないものを感じています。それがショックを受けた本当の理由でしょう。

  原因は、表面的にはいろいろあるでしょう。しかし、表面的に見ている限り、どこまで行っても、本当の原因も解決もみつかりません。

  崩壊していく現代社会の中で、私たちに与えられている時間はそう多くはありません。本当の原因と解決を見つけださなくてはなりません。

  問題は、充実感の喪失です。充実感があれば、すべては勉強であり新しい発見であり新しい出発です。しかし、充実感が低下していれば、どんなことでもストレスであり悩みであり苦痛です。

  充実感の喪失は、「他人の山」を登る生き方から起こります。

  一応、衣食住から解放されました。「衣食住のためになら、自分を捨てられます。犬になれます。」という時代ではなくなりました。ハングリーな状態から自由になり、J(自分を生きたい自分)の芽生える時代となりました。

  しかし、Jが充実感を感じて、生き生きいきるためには、「自分の山」を登らなければなりません。

  それができないと、充実感を喪失して、「無気力・無感動」になって生きて行くことになります。一方では、K(自分の存在価値を認めさせようとする自分、ブライドの自分)が強くなり、「傷つく自分」になります。

  現代は「無気力・無感動」と「傷つく自分」の時代です。これが、この事件の本当の原因でしょう。

  「自分の山」を登るためには、「無条件の愛」と「希望」が必要です。

  J(自分を生きたい自分)であることは、集団と異なる自分を発見することですから、孤独と孤立を感じ、E(自己防衛本能)が強くなります。その上に、与えられるのは「条件付きの愛」です。条件付きの愛は、A(きびしい親)です。

 EとAで縛られ、J(自分を生きたい自分)は「我」になります。それでも、希望があれば生きていけます。しかし、希望に満ちて生きている人など見あたりません。あったとしても、衣食住を求める貧しい時代の希望であり、豊かな時代の希望にはなりません。

  Jの時代に入ったのに、大人も子供も、無条件の愛と希望が見いだせない。「無気力・無感動」と「傷つく自分」とでお互いを傷つけ合っている。これが、事件の根底でしょう。

  なぜ、こんな時代なったのか。J自体は、素晴らしいことなのに、なぜ人類は苦しまなければならないのか。

  その理由は、Yu(ユー)を知らないからです。Yu(ユー)を知らない限り、Jは「我」で終わります。

  「自分で生きてる病」、「偶然の産物病」、「死んだらおしまい病」に感染し、「無条件の愛」と「希望」を見いだせません。

  一日も早く、日本だけではなく世界中の人々が、Yu(ユー)に出会えることを心から願っています。