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タイトル死ぬ理由も、生きている理由もないという自殺
記事No35
投稿日: 2011/05/04(Wed) 19:50
投稿者sasada
  ある自殺をした若者の遺書に、「死ぬ理由もないけれども、生きている理由もない」と書かれていたとのことですが、これを書いているのは、F(本当の自分を生きたい自分)でしょう。EやDではありません。

  地位や名誉やお金が欲しい人は、それが人生の目的になりますから、そのような遺書は残さないでしょう。

  自分がない人は、人生に意味や目的を求める自分がないのですから、何となしに生きていけます。自殺しません。

  自殺をする人や、自殺をしたいと思う人の多くは、Fです。人生に意味を求めるのはFです。そして、意味を見いだせないときに、生きていく気力を失うのもFです。

  確かに、今までによく見られたように、地位や名誉やお金や世間の評価が得られなくて自殺する人もいます。

  しかし、その人達も、世間的にではあるけども、より良くFを生きたいのに、それができないから絶望したのです。

  自殺というのは、本人は自覚していないかもしれませんが、「F(本当の自分)を生きたいのに、それができない。そんな自分が悲しくて空しい」ということの表現です。

  自分がなければ、犬にも鬼にも獣にもなれます。犬や鬼や獣になれれば、社会適応は可能です。餓死することはありません。貧しい時代では、自殺が少ないのは、食べるために犬や鬼や獣になれたからでしょう。

  豊かな時代になれば、Fが目覚めてきます。豊かですから、衣食住は目的にはなりません。EやDでは生きていけません。豊かな時代なのに、Fが、EやDだけのために生きるというのは、空しいだけです。

  Fに目覚めたなら、Fを生きることです。それしかありません。そして、Fを生きるためには、Yu(ユー)を知ることです。Yu(ユー)の「無条件の愛」を知らなければ、自由になれないからです。

  Fの時代に入ったのに、Fを生きる方法を知らない、これが現代人の不幸でしょう。

  生きる理由は、「本当の自分を生きて、自分の山を登る喜びと感動であり、Yu(ユー)を知ること」です。これを年若く死を選ぼうとしている人たち、大人にはなったが、喜びや充実感を失っている人たちに伝えたいというのが私の願いです。