[リストへもどる]
一括表示
タイトル「我」を越えるトレーニング
記事No232
投稿日: 2011/05/21(Sat) 21:23
投稿者sasada
  Yu(ユー)に至らないFは、「我」にすぎません。登山口でどんなに飛び上がっても、何も見えません。登山口は登山口です。3合目や5合目から見える風景や世界は、そこまで登らないと見えません。ですから、私達がどんなに登山口で頑張ったとしても、「我」から脱却できないのです。

  「我」から自由になるためには、Yu(ユー)体験です。Yu(ユー)体験によって初めて、「我」が落ちます。Yu(ユー)体験のトレーニングあるのみです。

  Yu(ユー)を理解したり、Yu(ユー)を生きようとするだけでは、「我」が「我」を強くしようとしているだけかもしれません。

  「我」から自由になること、「我」を越えることが目的ですから、Yu(ユー)体験のトレーニングに進まない限り、本物にはならないのです。

  「生かされてる医学」は、現実は変えないでおきましょうというのが鉄則です。そして、まず、「Eですか、Dですか、Fですか?」のトレーニングをしていただきます。さらに、「Fですか、Yuですか?」と問うトレーニングです。

  しかし、これらは、自分の心の中で行うトレーニングです。自分に対して行うトレーニングです。初心者の間はそれで良いのですが、少し実践してきますと、限界を感じるようになります。「頭では分かるが、実際問題となるとなんだかよく分からない」、「実感が得られない」などなど。

 それは、自分に対して行うトレーニングだけでは、「我」を越えられないからです。自分のためにだけ生きていることになり、「我」が「我」のためのトレーニングしているという我執の姿になってしまう可能性が強いからです。

  「我」を打ち破るには、人のために生きることです。自分の「我」を越えるためには、相手の幸せのために生きることが必要です。しかし、やみくもにやっても、結局は、良い評価をもらうための親切になったり、自己犠牲ばかりして、自己説得や自己満足に陥るだけになります。

  してもらった方も、社会適応の失敗を助けてもらって、ますます社会適応に精を出したり、わがままを受け入れてもらえて、ますますわがままになったりし、自分も相手も滅ぼすだけになりかねません。

  大事なことは、「本当の幸せとは何か」という明確な体験をすることです。本当の幸せ、最高の幸せとは、Yu(ユー)体験をすることです。Yu(ユー)体験なしに、人のために生きることは、社会適応やわがままを助長する親切に過ぎません。

  では、Yu(ユー)体験をするためには、何をするのか、それは、丹田呼吸法により、自分の中の「ふとした優しさ」と一体化することです。

  Yu(ユー)は、私たちの中にあります。私たちの中にある「ふとした優しさ」です。しかし、「ふとした優しさ」は、「ふとした優しさ」にとどめないかぎり、自分のための親切になり消滅してしまいます。

  「ふとした優しさ」を「ふとした優しさ」にとどめて、それと一体化するトレーニングです。丹田呼吸法をしながら、一体化します。

  丹田呼吸法による「ふとした優しさ」と一体化するトレーニングを始めると、大きな変化が起きます。相手の心が気にならなくなり、その結果、かえって相手の心が見える自分に気づきます。

  今までは、自分の方は、自己防衛や不満一杯で、かってに相手のイメージをつくっています。「我」の状態では、孤立と孤独ですから、相手がどうしても巨大に見えます。自分が小さく見えます。

  しかし、丹田呼吸法による「ふとした優しさ」と一体化するトレーニングをし始めますと、相手が客観的に見えてきます。「しきたり人間」であったり、「損得人間」であったり、「好き嫌い人間」であったり、「我人間」であったりと、相手も本当は弱い人間に過ぎないことがわかります。弱いからこそ、集団をバックにせざるを得ないのであって、一人になると本当に弱い人間です。

  自分としては、ただトレーニングをしているだけで、現実を変えようとは一切していないのです。現実は無関係なのですが、結果として、相手も弱い人間だということが分かり、自分を守れることになります。相手は脅威ではありません。身構える必要もなくなります。「我」は消えていきます。

  初めから自分を守る必要などなかったのです。現代の日本では、普通の人間関係の中で、不当に逮捕されたり暴力を受けることはありません。不安がなければ、騙されることはありません。「はい、いいえ」をはっきり言えれば、追い込まれることはありません。「我」がなければ、傷つくこともありません。

  心の中で追いつめられているだけですから、現代の日本で自分を守るというのは、相手も弱いということを知ることです。ただ、頭でいかに理解しても感情の問題ですので、頭だけではますます身構えることになりますが、体得のトレーニングは、ありがたいものです。感情が変わります。

  日夜、丹田呼吸法による「ふとした優しさ」と一体化するトレーニングをしていると、「しきたり人間」、「損得人間」、「好き嫌い人間」で漂っているだけの人との間で差がでてきます。

  このトレーニングによって、本当に「我」から自由になる道を前進されることを願っています。