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タイトルおばさんの死
記事No230
投稿日: 2011/05/21(Sat) 20:53
投稿者sasada
  先週、「おばさんが突然交通事故でなくなりました。Yu(ユー)の世界ではどう理解すればよいのでしょうか。Yu(ユー)にとって、おばさんはもう必要でなくなったのでしょうか」という質問をいただきました。

  Yu(ユー)の世界では、死は終わりではなく新しい出発です。虚無ではありません。しかし、悲しみであることは確かです。

  人の死はつらくて悲しいものです。最大の悲しみです。関係が近くなければ大したことではありませんが、心が繋がっていればいるほど、たとえようもなく傷みを感じます。

  しかし、Yu(ユー)はかぎりないやさしさです。どんなになってもYu(ユー)から、もういらないということはありません。

  Yu(ユー)の世界は、かぎりないやさしさと、宇宙・身体・社会を支えるための法則によって成立しています。

  交通事故では、車を運転していたのは人間です。事故を起こせば、物理の法則で破壊的な力が加わり、医学的な生命維持の限界を超えれば死亡します。

 食べ過ぎれば腹痛を起こすのと同じで、Yu(ユー)による裁きでも罰則ではありません。人間の罪です。

  せっかく人間に与えた自由を奪わないために、Yu(ユー)は直接人間の社会に手を出しません。

  人間の努力は、Yu(ユー)の法則にそった生き方、社会を造ることです。交通事故を起こさないような運転、さらに道路づくりをすることです。

  そのような道路づくりは莫大な費用がかかるという声もあるかもしれませんが、バブルの時には、よその国までビルや土地を買いに行ったり、不必要なリゾート開発に膨大な経費をつぎ込むような無駄をしました。

  私たちの社会をどのようなものにするかは、私たちの責任です。Yu(ユー)の世界がわかれば,何にお金を使えばよいのかが明らかになります。人間の社会を良くするのも、悪くするのも人間でしかありません。