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タイトル涙の合唱団
記事No152
投稿日: 2011/05/10(Tue) 20:44
投稿者sasada
(もう10年も前になるのでしょうか。8人の幼稚園児が殺された教育大付属小学校の事件が起こったときに書いた文章です。)


梢をわたる風も鳥たちも、5つの発見、5つの発見と語り合っている

太陽のあふれる光も、5つの発見、5つの発見と輝いている

青い海には、遠く白い波が立ち、5つの発見、5つの発見と波打っている

蝉たちも、5つの発見、5つの発見と鳴きだした

今、世界はなんだか楽しく、5つの発見の大合唱団です


5つの発見の大合唱団の文章を、気持ち良く書いた直後です。夏の甲子園での高校野球のための大阪予選で、8人の小学生が殺された教育大付属池田高校の選手たちが、喪章をつけて入場行進するというニュースが目に留まりました。

そのニュースを見たとたん、世界は、涙の合唱団に変わりました。

このようなあまりにも悲しく、空しい事件を防ぐ方法は、一人一人が、5つの発見を理解し実感することしかありません。

衣食住で精一杯の貧しい時代から、豊かな時代になったのは素晴らしいことですが、現実は素晴らしいどころか、「我」の時代に落ちました。今後は、ますます「我」の時代が進行します。

貧しい時代は「組織の時代」です。組織のために、個人が歯車となり、個人が犠牲になった時代です。不幸な時代でした。

豊かになれば、個人が自由に生きられます。「個人の時代」です。しかし、個人は、「本当の自分」になれなければ、傷つきやすい「我」に終わります。

最悪の場合、傷つけられた「我」は、自殺という形で自滅するか、周りも巻き込んで残虐な事件を起こし自爆するかです。

「我」は、条件付きの愛、条件付きの存在の肯定に傷つき、苦しんでいます。傷つけば傷つくほど肥大します。「我」は、結局は条件付きの愛が生み出したものです。

解決は、5つの発見しかありません。5つの発見は、多くある選択肢の一つではなく、唯一の選択肢です。

無条件の愛、無条件の存在の肯定は、Yu(ユー)からしか来ないからです。

現在、日本の構造改革が叫ばれています。不良債権の処理は必要ですが、それだけでは、構造改革にはなりません。

「組織の時代」から本当の「個人の時代」に変革することが、構造改革なのです。組織を活性化しようという従来の方法では、個人はますます無気力化します。個人が、生き生きと生きられるように、個人の活性化をしなければ、21世紀は滅びます。

なんとしても、個人が傷つき無気力化することを止めなくてはなりません。それに、個人の存亡と、21世紀の存亡がかかっています。しかし、世の中にあるのは、条件付きの愛ばかりです。条件付きの存在の肯定だけです。

底なし沼のような恐ろしさと深刻さです。存在の肯定は無条件でなければ、無意味なのです。

しかし、Yu(ユー)があります。ここに希望があります。

この底なし沼のような恐ろしさと深刻さと、しかしYu(ユー)があることの希望を、すべての人に理解して欲しいのです。

では、実際の構造改革の実現のために何をするのかというと、それは医療と教育の構造改革を行うことです。一人一人が生き生きといきられることが構造改革の目的ですから、医療と教育の場が最大の問題です。

具体的な政策としては、膨大な額の医療費を半分に削減し、それをYu(ユー)による健康医学にあてること、同様に膨大な金額になる教育費を半額にして、それをYu(ユー)によるフリースクールにあてることです。

「生かされてる医学」の健康医学とフリースクールを本気で実現することです。

「現実に、そんなことは不可能!」と思われるでしょう。確かに不可能でしょう。どう考えたってできるはずはありません。しかし、可能にしなければ、21世紀は滅びます。

私は可能と確信しています。それは、一人一人の心の問題だからです。一人一人が、本当にそうだと理解し信じることができれば実現することだからです。

私たちは、独裁者の国に住んでいるのではありません。利権団体は多いですが、利権だけで、社会や国を支配できる世の中ではなくなりました。利権は、「組織の時代」の遺物となりつつあります。

私たちは、今、「個人の時代」の幕開きに立っています。刀や大砲は、支配者が「組織の時代」を支える道具でしたが、インターネットは、個人が「個人の時代」を支える道具です。

涙の合唱団は20世紀までのもにしましょう。21世紀は喜びの合唱団にしましょう。それは、私たち一人一人の心にかかっています。