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タイトル可哀想な人たちへYu(ユー)を
記事No135
投稿日: 2011/05/08(Sun) 20:46
投稿者sasada
誰にだって、自分の心の中に、EやDやK(我)からの優しさではなく、Yu(ユー)からの優しさがあります。「ふとした優しさ」、「自分を越えた優しさ」、「自分には出来過ぎの優しさ」です。

そして、それを実現したいと願ったとき、Yu(ユー)からのエネルギーが来ます。

テレビを見ていると、世界の各地で戦争をしています。数多くの犠牲者がでています。とりわけ、親を亡くしたり、手や足を失ったりした子供の姿は、悲惨です。可哀想すぎます。

殆どの戦争は貧しさから起こり、戦争は貧しさをますます増強させていきます。飢餓が起こり、伝染病が広がります。

「何とかしてあげたい!」、そう思います。その思いは、EやDやK(我)ではありません。自分の中に宿るYu(ユー)の優しさです。

「そんなことは当たり前だよ」と言ってしまえば終わりです。確かに、そんな優しさで良いのなら誰にだってあるからです。しかし、よくよく自分という人間を見つめてください。当たり前ですか。

当たり前なのは、自分のことしか考えない自分中心の自分ではないですか。EやDやK(我)ばかりの自分ではないですか。「当たり前だよ」は、自分を見つめたことのない人の言葉です。

闇夜の自分の中に、真っ黒けの自分の中に、「ふとした優しさがある」、これは不思議です。だから私たちは、Yu(ユー)の子供なのです。

ただし、その思いを決して実行しようとしないでください。ここが大事な点です。実行しようとすれば、すぐにEやDやK(我)に変化します。見返りを期待したり、大したこともできない自分に失望したり、逆に感謝されないと腹が立ったりと、すぐに汚れて薄らいでいきます。

私たちの中に、Yu(ユー)の優しさがあることは確かですが、それは弱いものです。か細いものです。まず、それを育てることから始めなければなりません。それには、「可哀想だ。何とかしてあげたい!」という思いにとどめることです。思いだけにすることです。しかし、繰り返し繰り返し、その思いを確かめることです。大事にして、いつもいつも思うことです。

そして、「いつか、何かをできるようになりたい」と願うことです。何かとは、Yu(ユー)を伝えることです。戦争は、人間の貧しい心から起こります。EやDやK(我)です。根本的な解決は、Yu(ユー)を知ること以外にはありません。

核兵器を初めとする武器や軍隊はなぜ必要なのですか。お互いがEやDやK(我)で生きているからでしょう。だからA(警戒や攻撃)を必要とするのでしょう。

生存競争という原理で生きるから、資本主義になり、富の偏在とむさぼりがおこり、貧しい国の人々の能力を生かせないのでしょう。

しかし、Yu(ユー)を伝えるとは、現実に何かをすることでも、言葉で伝えることでもありません。自分自身がYu(ユー)を知り、喜びと感動、優しさを感じられるようになることです。

自分が喜べれば、満たされれば、周りの人たちが変わる、世界も変わる、これが「生かされてる医学」です。

「ふとした優しさ」とこのような願いを持ったとき、エネルギーが来ます。エネルギーを感じます。Yu(ユー)からのエネルギーです。同じことなのに、目の前の出来事が違って見えてきます。世間も世界も違って見えてきます。心身が軽くなるのを感じます。Yu(ユー)からのエネルギーで生きていくことができます。