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タイトル冷酷でうつろな眼差し
記事No117
投稿日: 2011/05/08(Sun) 15:17
投稿者sasada
  「自分で生きている」と思っている限り、社会と死から存在の否定を受けなければなりません。

  「自分で生きている」と思っている限り、社会は、競争社会です。生存競争です。

  常に勝ち続けることはできませんから、存在の否定が来ます。「自分で生きている」と思っているれば、「死んだら灰になっておしまい」です。死は、完全な存在の否定です。

  この両者から否定により、自己否定に陥ります。暗く憂鬱になり、全てがストレスになります。

  これは、自分にとってつらいことであるのは当然ですが、もう一つ考えておかなければならないことがあります。

  このような観念で自分を見ているということは、人を見るときも、そのように見ているということです。

  人を見るときも、「生存競争の勝者と敗者、死すべき者」と、見ているということです。これは冷たい目です。相手を抹殺する眼差しです。

  どんなに相手に愛情を持っていたとしても、むしろ愛情を持っているだけに、残酷です。

  「おまえは、勝者か敗者か。どっちみちいずれは敗者だよ。最後は、灰になっておしまいだよ」、こんな目で見、また見られたら、耐えられますか。

  腹が立ち憎んでいる人や、自分にとってどうでもいい人なら、大した問題ではありません。自分を愛してくれ、自分も愛している人を、こんな目で見、また見られるのです。

  お互いを抹殺する冷酷な眼差し、自分を否定し、相手も否定する眼差しです。

  そんなことは、誰だってしたくないでしょう。当然のことです。でも、私達の観念は、そうなのです。この観念は、現代人の常識となったものですから、圧倒的な力です。

  気持ちでは、そんなことはしたない。絶対に、認めたくありません。あまりにも悲しいことです。しかし、観念は有無を言わせず私達の目を冷酷にします。

  気持ちと観念との戦い。そうて、圧倒的な観念の勝利。常識による制圧。しかし、感情的には、やはり認めたくない。この葛藤の中で、現代人の目は、うつろで力無いものになっています。

  Yu(ユー)の世界を知って、Yu(ユー)と一体化して、もうこんなばかばかしい目つきはやめましょう。無意味なだけです。時間の浪費です。

  春も間近です。つくしやタンポポも芽生えようとしています。真実でないものは、一刻も早く捨てましょう。