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タイトルFの諸段階・常にトレーニングです
記事No109
投稿日: 2011/05/08(Sun) 09:44
投稿者sasada
  Fにはいくつもの段階があります。まずは「Fの確認」です。次は「FがYu(ユー)を知る」段階です。「FのないYu(ユー)」が最終段階です。生かされてる医学の5つの方法によるトレーニングをしていけば、結果してそれらの段階を通っていくことが出来ます。

  Fは素晴らしいです。人間が人間である特徴は、Fがあることでしょう。しかし、通常Fは、EとD(不安と不満)にまみれています。殆ど自覚しないままで人生を終わる人のほうが多いでしょう。

 これは貧しい時代の名残です。貧しい時代では、勝手な行動は許されません。みんなが勝手なことをすれば社会は崩壊して、衣・食・住・安心は得られません。そこで、飴とムチです。

  B(やさしい親)が飴、A(きびしい親)がムチです。飴とムチ(BとA)で、EとDは支配されます。刃向かえば厳しい処罰です。村八分です。従えば甘えが許されます。このようにして、EやDは調教されます。

  しかし、Fはそうはいきません。飴とムチ(BとA)では支配できません。支配者が本当に警戒したのはD(わがままな子供)ではないのです。D(欲望満足本能)なら飴とムチ(BとA)で支配できます。支配者にとって、飴とムチで陥落させることの出来ないFほどやっかいなものはなかったでしょう。それだけに、小さいときから念入りに押さえ込もうと教育します。「出る杭は打たれる」、「長いものには巻かれろ」、さまざまに教育します。

  EやDは許されます。それは飴とムチ(BとA)で支配できるからです。だからEとDのモデルはいくらでもあります。人生はそればかりと言っていいでしょう。自己防衛と欲求の満足です。社会のしきたり、伝統、正義、道徳、そのような一見高級そうなものも、その成り立ちを追究すれば、飴とムチ(BとA)でしかありません。一見、EとDを対象にしているように見えますが、その根底はFの封じ込めでしょう。「Fさえ出さなければ、EとDは満足させてあげよう」というシステムです。

  そのため、「Fの確認」と言っても容易ではないのです。F自体が種であり、芽ですから見えにくいのと、それ以上にEやDに巧みに汚染されているためです。そのために、生かされてる医学の5つの方法によるトレーニングです。繰り返し繰り返し真剣に行えばFは自分の中にある実物ですから、必ず確認できるものです。
 
  「Fの確認」が出来ても、それだけでは孤独と孤立でしかありません。精神的には、社会から離れてたった1人になることですから当然です。単なる「我」です。そのままでは自滅です。しかし、そこでさらに、生かされてる医学の5つの方法によるトレーニングをしていきますと、Yu(ユー)を知ることができます。これも医学的な事実の世界ですから、必ず理解できるものです。

  「Yu(ユー)によって生かされてる私」、「何もないのに素晴らしい私」、その発見は、最初は「本当に不思議....」という感じです。「何で、この私が....」という感じです。しかし、さらに進むと喜びがきます。

  これで終点かと思われるかもしれませんが、それでおしまいではありません。「FがYu(ユー)を知る」だけでは、FとYu(ユー)は別々です。常に努力してYu(ユー)を意識していなければなりません。しかし、さらにトレーニングを進めていくと、FとYu(ユー)が一体になります。Fが消え、Yu(ユー)だけになります。「FのないYu(ユー)」、これが最終段階です。しかし、とても大事な注意点が2つあります。

 第1の注意点は、最初からFを抹殺しようとしてはならないということです。Fが消えるのは結果としてであって、消そうとしてではないのです。さまざまな修行と言われるものがあります。それらは、ことごとくFの抹殺を目的としています。支配者によって利用された修行法になっています。

  石の上に座ったり、滝に打たれたり、山の中を走り回ったりして、何を得たいのですか。それらはFの抹殺です。その根底には、支配者の下心と、本人には強くなって社会的に成功したいという思いが隠れています。社会適応のための修行になっています。

  そうではなくて、Fは強く大きく育てなければならないのです。Fが育てば、孤立と孤独です。社会適応ができなくなります。嫌なことですが、その時初めて、Yu(ユー)を知ることが出来るのです。かぎりないYu(ユー)のやさしさに触れるのです。

  第2の注意点は、これが最終段階と思っても、次の瞬間には、EとDの世界に墜落するということです。瞬間にはそのような状態になったとしてもとても持続できるものではありません。また、EとDに転落して、生かされてる医学の5つの方法によるトレーニングを続けなければならないとうことです。

  最後の日までトレーニングです。EとDに落ちて、少しFを自覚して、Yu(ユー)を知り、ほんのちょっぴり喜べて、かすかにかすかにFのないYu(ユー)を体験できたかなと思った瞬間、またEとDの世界に戻る。またトレーニングして、すこしは行けたかなと思ったが、また間違った。人生はその繰り返しです。

  大事なことは、結果に左右されず、生かされてる医学の5つの方法によるトレーニングを続けることです。トレーニングが大事で、そのトレーニングの途中で、EやD、F、Yu(ユー)、さまざまな景色が見える、それを楽しむというぐらいの気持が良いと思います。