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タイトルYuから見た私たち
記事No101
投稿日: 2011/05/08(Sun) 08:52
投稿者sasada
  今までは、私たちから見たYuについてお話してきました。一方、Yuから見た私たちはどうでしょうか。Yuから見れば、私たちは幾通りもの子供に見えるはずです。

  第1は、喜びの人
  これは、Yuを学ぼう、Yuを知ろうとする人でしょう。最終的には、Yuの世界で生きることを喜ぶ人でしょう。Yuは私たちを喜ばそうとして働いています。だから、喜んでくれることが一番嬉しいに違いありません。Yuにとって喜びの人です。

  第2は、心配な人
  決して悪い人ではないのです。良い人なのですが、Yuを知ろうというエネルギーが無い人です。Yuを知る素質は持っているのですが、ふらふらと毎日を過ごしているのです。Yuにとっては、何とかしてあげたいが、手を出すわけにはいかず、心配しているという人です。

  第3は、悲しみの人。
  世間的な不安と不満の中で、のたうち回って生きている人です。Yuを知る素質はあるのに、どうしても浮き世の欲望に惹かれてパニックになっています。不安と不満、同じことの繰り返しで人生が終わります。どうしてそんな生き方しかできないのだろう。Yuにとっては、悲しい人です。

  第4は、失望の人。
  心配させる人も、悲しませる人も、心の底にはYuへの感性があります。何かの拍子に、心がYuに向かうこともあり得ます。しかし、うぬぼれと独善になって、私は正しい、自分で生きていると思っている人は、人間らしい自然な感情を失っていきます。ひょっとしたら私は間違っているかもしれないという不安が起こりません。人間の社会では立派かもしれませんが、Yuへの感性を失っています。Yuは失望を感じざるを得ないでしょう。

  第5は、Yuの怒りに触れる人。
  人間の最大の罪は何でしょう。Yuを否定することでしょうか。Yuを攻撃することでしょうか。いいえ、Yuは親ですから、子供が親を否定したことぐらいで、怒ることはありません。

 すべての人はYuの子供です。最大の罪は、Yuの子供である人がYuの子供である人を追いつめること、苦しめること、傷つけること、最悪の場合は殺人を犯すことです。自分が自分の人生を駄目にすることは、残念ですが自分のことです。しかし、Yuの子供である人を苦しめたり、殺害することは、Yuにとって許すことはできないことです。

  では、どうしてこのような差ができるのでしょうか。同じように生まれ、同じように生きているはずなのに、何が原因なのでしょうか。私は、それは私たちの内にあるYuへのエネルギー、Yuへの感性であると思います。Yuへの感性を磨いてきたかどうか、BYuへのエネルギーを高めてきたかどうかによるのだと思います。

  一つには、それは今の生だけではなく、前世、過去世にもかかわるのではないかと思います。もう一つは、綿々と連なっている家や社会のもつ性格によるものだと思います。