タイトル | : ふとした優しさの自分(Y)しか解決できない |
投稿日 | : 2017/09/11(Mon) 13:31 |
投稿者 | : sasada |
「ふとした優しさの自分」と言っても、「そんなもの何の役に立つのだろう? 何の意味があるのだろう?」と思う人が殆どでしょう。
社会は、競争社会であり、その中で、生存競争をして生きています。「ふとした優しさの自分」など、何の役にも立ちません。何の意味もありません。確かにそうだろうと思います。
ただどんな時代でも、「自分を目一杯生きて、周りの人も幸せになる生き方」をしたいです。
では、NOTWKS(ノットワックス)で、それが可能でしょうか? 自分を生きたい自分の殆どは、K、W、Tです。K(人に自分の存在価値を認めさせようとする自分、ブライドの自分)であり、W(自由気ままに生きたい自分)であり、T(快楽したい自分)です。これらの自分を強引に進めていけば、社会適応はできません。
一方、社会適応しようとする自分の殆どは、N、O、Sです。N(愛や評価を貰うために良い子になる自分)であり、O(ご飯のために自分を抑えて社会適応する自分)であり、S(笑顔を見たい自分ー殆どは自分のための親切)です。これらの自分を生きようとすると、自分を生きたい自分は抑えられて窒息します。
両方満たすことはできません。まして、どちらかを捨てることは到底できません。両者の葛藤が続き、不安と不満が充塞し、最終的には、諦めて程々に生きることになります。新型ストレスです。
結局、NOTWKS(ノットワックス)では、「自分を目一杯生きて、周りの人も幸せになる生き方」ができません。現代人の大人も子供も、殆どはこの状態にあると思います。
可能性のあるのは、「ふとした優しさの自分」です。「ふとした優しさの自分」は、自分自身ですから、目一杯生きても、自分が抑えられることはありません。窒息しません。それどころか生き生きとしてきます。そして、優しくするのが好きですから、社会適応もできます。
勿論、今まで役に立たないものとして、置き去りにされたり、捨てられたりしてきたものですから、「ふと」でしかありません。しかし、かぎりなく優しい心身医学があります。頭をカラッポにする丹田呼吸法と生かされてる医学的事実があれば、育てることができます。大丈夫です。
もし、「ふとした優しさの自分」が少しでもあり、それが好きであり、それを生きていきたいと思えたら、是非、育てましょう。育てて生きましょう。自由自在の人生です。